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日本で台湾に最も近い与那国町の糸数健一町長が改憲派の集まりで「一戦を交える覚悟が全国民に問われているのではないか」と述べ、全国民に覚悟を求めた。この発言は昨年8月、台湾を訪れた自民党の麻生太郎副総裁が講演で述べた「戦う覚悟」と変わりない。 麻生氏はこの時、「今ほど日本、台湾、アメリカをはじめとした有志の国々に非常に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている時代はないのではないか。戦う覚悟です。いざとなったら、台湾の防衛のために防衛力を使う」と述べた。 この発言に対し、政府が注意することなく、うやむやになったこと、また安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事」と断定的に述べたことから、台湾でコトが起きれば、日本が参戦するのは当然とみなす勘違いが広がったのだろうか。 自衛隊が武力行使できるのは日本が他国から武力侵攻された場合に限られる。「密接な関係にある他国」への武力侵攻を存立危機事態とみなして参
「ウルトラマン」などの脚本家で、1976年に37歳で亡くなった金城哲夫さんが最後に手がけた映画「かりゆしの島沖縄」の脚本が、実家のある沖縄県南風原(はえばる)町で今秋初公開される。75年に沖縄国際海洋博の沖縄館で上映された記録映画で、フィルムも脚本も所在不明とされてきたが、脚本の生原稿(400字詰め用紙13枚)を妻裕子さん(80)が保管していた。 中学卒業後に上京した金城さんは大学時代から現在の円谷プロで脚本を学び、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」で企画・脚本を担当し、シリーズの礎を築いた。 69年には「復帰を沖縄で迎えたい」と帰郷し、沖縄芝居の脚本やラジオ番組で活躍。海洋博で開閉会式の演出を手がけたが、「本土の回し者」などとなじられ、反発する地元との摩擦に悩んだ。酒量が増え、閉会式から約1カ月後、自宅離れの2階の書斎に窓から入ろうとして転落死した。 最後に情熱を注いだ海洋
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