おめでとう きれいな町になってよかったね ホームレスのいない きれいな町になってよかったね ブルーテントもダンボールハウスもない きれいな町になってよかったね ほら 公園や河川敷には暖かな陽の光が降りそそぎ 草木の緑が萌え さわやかな風が吹き渡ってゆく 小鳥たちがうれしそうにさえずって 犬や猫も飛び跳ねているよ 道は限りなく白く清潔でゴミひとつ見当たらず 思わず顔をしかめたくなるような臭いだってない 空き缶を山のように積み上げた 危なっかしい自転車だって通らない ほんとうに安心できる町になったね あれはなんだろう あの白いものは? あぁ 鳩のフンだ エサに群がった鳩たちがフンをしているんだ おじさんたち あの鳩をみんな捕まえてください 捕まえて保健所で処分してください あぁ きれいになったね フンをする鳩がいなくなって きれいになったね あぁ あの犬はなんだろう? 電信柱におしっこをしてい
そんな事よりはてな市民よ、ちょいと聞いてくれよ。はてなとあんま関係ないけどさ。 このあいだ、ド○モのサイト行ったんです。ド○モのサイト。 そしたらなんかFLASHがいっぱいで見づらいんです。 で、よく見たらなんか☆があって、Do○Mo2.0、とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。お前らな、2.0如きで新しいサイトなんか作ってんじゃねーよ、ボケが。2.0だよ、2.0。 なんか微妙にドラマ系CMだし。CMがメインコンテンツか。おめでてーな。 よーしメニューにキャラクター紹介入れちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。お前らな、ウェブ進化論やるからそのサーバよこせと。2.0ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。2ちゃんねらーに晒されていつ炎上してもおかしくない。晒すか晒されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。大企業は、すっこんでろ。で、やっと内容がわかったと思ったら、
『らき☆すた』のオープニングCDもってけ!セーラーふく【AA】がまもなく発売されるけど、ゲーマーズ本店が『もってけ!セーラーふくFull Ver歌詞』を19日夕方には掲示していた。お店に来ているサンプル版の歌詞カードの拡大コピーみたいなので、「もってけ!セーラーふく」Full Verの歌詞が確定したことになる。 『らき☆すた』のオープニングCDもってけ!セーラーふく【AA】がまもなく発売されるけど、ゲーマーズ本店が『もってけ!セーラーふくFull Ver歌詞』を19日夕方には掲示していた。お店に来ているサンプル版の歌詞カードの拡大コピーみたいなので、「もってけ!セーラーふく」Full Verの歌詞が確定したことになる。 『もってけ!セーラーふく(Yotube)』は、ランティスでのCD情報によると『これでもかとたたみかけるようなスーパーハイテンションラップソング!こんな歌、今まで無かったハズ
オタ以外やることがないのでとりあえずやっている。というかやらされている。オタの友人はあまりいない。かといって一般人の知り合いも少ない。好きなことに対して小一時間熱く語れるなどということはまずない。基本的には購入厨。消費した時点で満足するのでほとんど積んだまま。そんなにアニメとか好きじゃない。1クール視聴するには相当の根気が必要。抑圧された性欲をそのまま二次元へ向けるので、即物的なエロに走りがち。他人のレビューと自分の感想を混同している。そもそも自分の感想というものが希薄。メジャーどころに飛びつくのはミーハーっぽいと思い、変にニッチなものを好きになる中二病気質。オタクから見ればぬるい、一般人からみればキモい、というポジションになぜか居心地の良さを感じる。まあこれ全部自分のことなんだけどね!という自虐精神を忘れない。
まあ後で消すからいいだろうと思って投げやりな考え無しのコメントをつけたりするときがあるんだけど、 そういうときに限って言及されたり引用されたりするんだよね。 そもそも何で後で消すかって言うと、その記事まわりの流れを一時的に見ていたいから。つまりヲチが動機だから、 コメントもまああまりプラスの意味で書かれたものじゃない。言うほどマイナスでもないけど。 そんなコメントを書いて消すこと自体どうなのよって意見もあるだろうけど、まあ自分でチキン宣言してるようなもんだし、 一日二日経過を見守ったら消す、みたいなことをよくするんだわ。 でもさ、そのコメントをピックアップされると、途端に消しづらくなる。罵倒とか批判とかだったらまだいいよ。 その場合俺がさっきのチキンにあたるだけだから。でもさ、それ以外の目的で、ただ単にコメントを拾われるととてもやりづらい。 ここで俺が消すとさ、お互い何の気もないのに「お前
高校生の頃、存在感のないデブがいた。 容姿も成績も、何もかも中庸。 話題に上ることもなく、嫌われることもなく。 空気と呼ぶにはあまりにも希薄なその存在は、 ただ「幅」として、クラスに存在し続けた。 その在りようのまま「幅」と呼ばれたその男は、 たぶん要領だけは抜群に良かった。 フォローが完璧すぎる人間は、しばしば誰からも意識されない。 傍から見ると、彼は何も為していないようにすら見えた。 みんなから慕われたり、畏れられたりするには 「最善であること」はむしろ有害で、「次善」を目指さないといけない。 「幅」がもう少し要領が悪かったのなら。もう少し口汚かったなら。 あるいはその幅が、机をはみ出して教室の通路をふさぐぐらいに大きかったなら。 幅は幅としてでなく、太った同級生の一人として、みんなの記憶に残ったのかもしれない。 同窓会に「幅」は来なかった。 恐らくは来なかったのだと思う。話題にも上ら
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