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ブックマーク / marichan.hatenablog.com (4)

  • 2022日本里帰り日記⑲:満州からの手紙 - 愉快的陳家@倫敦

    実家で、戦争中祖父が戦地から送ってきたハガキ類をどっちゃり見る機会があった。 大連で子供時代を過ごしたこともある祖父は、召集されて満州に行った。その後ソ連軍に拿捕され、シベリアに抑留された後、戦後数年してようやく舞鶴経由で帰ってきた話は今までも聞いたことはあったが、当然祖父自らそういう話をするのは聞いたことがなかったし、細かいことは全く知らなかった。 手紙の量があまりに多かったので、とても全部は読み切れず、一部を携帯で写真に撮って後でゆっくり読んだ。まずは達筆すぎて最初は解読できない部分もあった。探偵ナイトスクープにもそういう依頼があったよな。でも慣れとは面白くて、段々読み進めていくうちに筆跡のクセなどがわかり、くずし字も大分読めるようになったのは面白かった。 祖父母のことは当然歳をとってからの2人しか知らない訳だが、若いころの2人のやりとり(残ってるのは祖父からのものだけだが)など、もう

    2022日本里帰り日記⑲:満州からの手紙 - 愉快的陳家@倫敦
    daiouoka
    daiouoka 2022/10/12
    僕の母方の祖父がシベリア抑留帰りだったらしい。ろくなもの食べさせてくれなかったからロシア人大嫌いだったらしい。
  • 国葬前の色々 - 愉快的陳家@倫敦

    日国葬。学校も会社も全部休みになり、スーパーなどのお店も全部閉まってしまい、まるでお正月のような静けさ。国葬中は飛行機も飛ばなくなるようで、多分朝最後のギリギリの時間のフライトの音がする。国葬前の色々覚え書き。 女王が亡くなった翌日、子供の学校は、女王が亡くなったことや葬儀のことなど全く触れることなく淡々といつも通りだったそう。保護者にも、国葬の日程が正式決定した後、学校がお休みです、というお知らせがあったのみ。一方、以前通っていた小学校では小学校のSNSアカウントでもお悔やみ表明してた。 まあ当然喪に服すかどうかは個人の勝手ではあるが、週末に開催が予定されていたイベントなどは、キャンセルもあった。子供の修学旅行も延期されてしまった!街にでると、お悔やみのサインや女王の写真はぽちぽち飾ってあるが、レストランやパブは普通に盛況。国葬前の昨日などは近所のパブはお客さんでパンパンだった。今日休

    国葬前の色々 - 愉快的陳家@倫敦
    daiouoka
    daiouoka 2022/09/19
    "あるスーパーマーケットチェーンでは、レジからピッ、ピッという高い音を出すのを自粛したのだとか。"
  • 2022日本里帰り日記②:空港ついても大変だ - 愉快的陳家@倫敦

    4月の日里帰り。 ロシア上空を飛ぶことができないため、アラスカ上空北回り経路で15時間の空の旅でした。さすがにお尻が痛かった・・・。 JALのCAさん達は皆さん親切で、こんなに長時間申し訳ない、なんて誰のせいでもないのに(プーチンのせい)言ってくださったり、フライト自体は快適でした(お尻以外)。CAさんは逆に歩き回って仕事するから、長時間ずっと座ってるより体はなんぼか楽なそうな・・。 長時間フライトのせいか、飛行機を降りる直前にゲロっちゃう子供続発。これから小さなお子さんを連れて欧州から帰国される方、到着後もしばらくはゲロ袋は携帯しておいたほうが良さそうです。 さて、無事に飛行機を降りた後も、日に無事に入国するには様々な関門が待ち受けています。在外邦人の間では「スタンプラリー」とも称されていた、空港内を右往左往してのさまざまな書類確認ツアー。 搭乗ゲートの待合エリアを潰して、机と係員を

    2022日本里帰り日記②:空港ついても大変だ - 愉快的陳家@倫敦
    daiouoka
    daiouoka 2022/06/10
    そんなにめんどうなのか。外国人観光客にも同じことするのかなぁ?
  • 今はお金を出す位しか - 愉快的陳家@倫敦

    大陸ではないものの、ヨーロッパに住むようになり、この「島国」イギリスでさえ、日アメリカと比べると、近隣国への近さを感じる。色んな国がひしめき合っているところに住んでいる感覚がある。 また同時に、街のあちこちに残る様々な時代の戦争の傷跡、そして戦争の記憶そのものも、昔住んでいた場所に比べてまだまだ生生しいものがあることを感じる。第二次大戦、色々な植民地戦争、そして冷戦にまつわる様々のみならず、日アメリカではすっかり歴史の教科書的事象である第一次大戦の戦没者も、今でも普通に追悼される。 あちこちにモニュメントやメモリアルが残っているし、ドイツ軍の空襲で焼けた場所が今だに空き地になっているところもある。子供も小学校の時はイギリスでもあった学童疎開について学び、様々な防空壕の種類について覚え、疎開児童の扮装をして登校したりしていた。なんだか戦争の記憶が、近い気がする。そういう歴史の延長線上

    今はお金を出す位しか - 愉快的陳家@倫敦
    daiouoka
    daiouoka 2022/03/02
    キエフはロシア語読みでキーウがウクライナ語読みなのか。
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