プロダクトデザインは田中俊治、俣野努、中島美樹夫ら数名の手によるものである。量産決定に伴い、開発主査には平井敏彦が就任。後に平井の退職に伴い、サスペンション開発の担当であった貴島孝雄が主査を引き継いだ。 開発の発端[10]は、マツダが北米に「プラン・アンド・リサーチ」というスタジオを設け、俣野が実寸大のクレイモデルを作り始めた頃[11]、スタッフ数名が空港に向かう車中で「MGのようなライトウェイトカーがあれば」と話したこととされている。その後、このスタジオはアーヴァインR&Dセンター(のちのMAZDA RESEARCH of AMERICA。以下MRA)として機能することになる。 この意見を元に、当時MRAに在籍していた福田成徳[12]らがデザインコンセプトをまとめた[11]。デザインコンセプトは有志の手によって具体化が進められ、FA4型ファミリアのコンポーネンツを使用し、英・I.A.D社
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