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宗教と考察に関するdalのブックマーク (4)

  • 日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏

    最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何

    日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏
  • 史上最大にして、最もささやかな宗教とその帰結:何故我々は満員電車で無視し合うのか?

    「みんながめいめい自分の神さまがほんとうの神さまだというだろう。 けれどもお互い他の神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう」 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』初期形第3稿より) 人が、自分の生まれた村や町で一生を終えていた時代には(想像もつかないほど昔のことじゃない。時間にすれば、人類の歴史のうちほとんどがそうだった)、接する人たちは皆顔見知りで、村や町みんなで同じ神様を祭ったり拝んだりしていた。 コミュニティの中や近くにある岩やらトーテムを、コミュニティのみんなで拝んでおけば、自然と一体感がうまれてうまくいった。 これが原始的な宗教のかたちだった。 そして同じ神様を祭ったり拝んだりする人たちが、要するに「仲間」だった。 ところが、多くの人間が互いに大きく移動し合い、一人の人間がいくつもの集団に所属したり、見も知らぬ人の集まりがあちこちにできたりする時代となると、「同じモノを拝む奴

    史上最大にして、最もささやかな宗教とその帰結:何故我々は満員電車で無視し合うのか?
    dal
    dal 2010/01/10
    これは素晴らしい。 / 「ただ相手も私も「ヒト」である、ということが「最後の聖なるもの」である。」 / 同じ音楽や趣味が好きで寄り集まってるのは原始体系。
  • 日本の寺がなぜ駄目なのかがわかった - 書評 - 出家の覚悟 : 404 Blog Not Found

    2009年06月14日01:30 カテゴリ書評/画評/品評Psychoengineering 日の寺がなぜ駄目なのかがわかった - 書評 - 出家の覚悟 先日行われた長老との対談の際に出版社から頂いたもの。 出家の覚悟 南直哉 / アルボムッレ・スマナサーラ 著作出しまくりの長老であるが、僧との対談は珍しい。 おかげでわかった。 なぜ「釈迦の言葉」には惹かれても、お経なり念仏を聞きに寺へ行く気が全く起きないのかが。 書「出家の覚悟」は、殺しで有名(?)な日の住職と、「仏教は心の科学」と言ってはばからないスリランカの比丘とによる対談。 目次 - サンガ(samgha) 出家の覚悟〜日を救う仏教からのアプローチ〜より。 Ⅰ 出家するということ Ⅱ 日仏教の現在 Ⅲ 悟るということ、知るということ Ⅳ 根底から揺らぐ現代日社会 Ⅴ 生と死、命の問題をめぐって Ⅵ 自己と他者 Ⅶ 仏

    日本の寺がなぜ駄目なのかがわかった - 書評 - 出家の覚悟 : 404 Blog Not Found
  • RSS購読者数の推移とPV数の推移に有意な相関性は見られず | 住 太陽のブログ

    hCAPTHAのチャレンジに「繰り返しのないエンティティをクリックしてください」というものがあります。この文面の意味がわかりにくいせいでしょうか、検索しておられる方が相当数おられます。この記事では「繰り返しのないエンティティ」とは何で、何をすればいいのかを簡単に解説します。

    RSS購読者数の推移とPV数の推移に有意な相関性は見られず | 住 太陽のブログ
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