8月16 極端な極端気象議論 カテゴリ:気象の話自然現象と災害 映画の興行成績で「新記録」といってもいろいろな種類のものがあり、切り口によって記録ホルダーだらけになるということがままあります。 最新号の土木学会誌は「特集 極端気象に備える」です。「極端気象」が疑いなく起きているのが前提となった議論となっていますが、本当でしょうか。 p.29〜の中央大学山田正先生のインタビュー記事に載っているグラフを見て、どこに極端気象が存在するのかを読み取ることは難しいです。少なくとも「最近」に極端事例があるようには読み取れません。 3日間雨量であれば1940年代の方が今よりだいぶ「極端」です。 私はいま阪神間にいますので、昭和13年の阪神大水害を連想してしまうのですが、この時の写真が、神戸市のHPに掲載されています。 神戸の水害 写真から見る水害(新聞社の写真なので転載できません) http://www
自然保護という語には内部矛盾が指摘できる。変化するのが自然ほんらいの姿なのに、保護してその変化を止め、自然をひとつところに留めようとしている。これは反自然的だ。 緑を破壊する火山を専門にしていると、このことを強く思う。この考え方を私が初めて知ったのは、町田洋先生が鳶崩れ(富山県)に関連して20年前につぶやくのを聞いたときだ。「美しいものだけが自然ではない。醜いのもまた自然だ」。幸田文も晩年このことに思いを寄せて、「崩れ」を書いた。 昨今の地球温暖化防止対策にも同様の危惧を抱く。地球を操作できると信じるのは人間の傲慢以外のなにものでもない。自然(地球)への畏敬が失われている。学校では、自然への畏敬を道徳で教えることになっている。学習指導要領にある。さて、上手に教えているだろうか。 去年と同じでないと、すぐ異常気象だという風潮も困ったものだ。自然は変化することが本質であることを一般は理解してい
あ、ども。 いつも虫取りご苦労様です。 我が家のおヤモリさま。 この写真だと分かりにくいけど、これは右の後足を怪我している個体で、去年も出会った。怪我をしているいきものというのは、いきものをあまり観察しない人が考えるほど、少なくない。「金沢城のヒキガエル」でも、著者が片足を失ったヒキガエルと数年間なんども遭遇した、というエピソードがあった。足を失うくらいですぐに生きていけなくなるような個体は、そもそもすぐに淘汰されてしまう、みたいなことでもあるのだろうか。それとも、足を失ったくらいでは、なかなか淘汰されないのか。 いきものをあまり観察しない人は、いきものと音が結びついていない。ハトの「ほーほーっほほー」みたいな鳴き声を認識していない人は、意外に多い。「くるっく」だけではない。たくさんいるいきものなのだから、観察できる機会も多いはずなのだけど。 いきものをあまり観察しない人は、いきものがどう
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