競馬がもっとも熱かった90年代前半! 競馬を一つのエンターテインメントに変えた第二次競馬ブームの立役者・オグリキャップが、暮れの有馬記念で感動的な復活ラストランを遂げて引退した1990年から、後に21世紀の競馬シーンを根底から変える輸入種牡馬サンデーサイレンス初年度産駒がデビューした1994年まで。90年代前半は、メジロマックイーン、トウカイテイオー、ミホノブルボン、ライスシャワー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアンなど、伝説級の名馬が続々と現れた。売上も観客数も頂点を極め、人々は夢と興奮に酔いしれた。競馬がもっとも熱かった時代の名勝負26選を一冊に。特別インタビュー「早見和真(小説家)/一番好きな馬はツインターボ」他を併載する。 (本書目次より) 第1章 空前の競馬ブーム到来! 199O年 有馬記念 オグリキャップ 天皇賞・秋 ヤエノムテキ 日本ダービー アイネスフウジン など 第2章 オグ
発売中のNumber1027号「ウマい騎手ってなんだ?」は日本ダービー直前競馬総力特集だ。 名手と謳われた故・横山富雄を父に持つ典弘の三男・武史が今年のダービーで1番人気間違いなしの馬の手綱を取る。そこで、長男・和生も含めて父子3人が一同に会し、存分に語り合った記事を特別に公開する。 初出:Sports Graphic Number 1012号「横山典弘×横山和生×横山武史「横山家、勝負師三代の教え」~受け継がれる遺伝子~」(2020年10月8日発売/肩書等すべて当時) 武史 自然な流れですよね。 和生 口に出して親に伝えたタイミングはあります。でも本当は小さい頃から自然と、いずれは騎手になるって思っていました。 典弘 馬乗りの息子として生まれて、ジョッキーという存在が当たり前の環境だったわけだから。俺が小さい頃はオヤジが負けた時は悔しいし、もちろん勝てばうれしい。自分がオヤジと一緒にレー
通算1800勝まであと4勝に迫っている田中勝春騎手(50)=美浦・フリー=は、火曜日から金曜日まで馬に毎日またがり、調教をつけている。「若い頃は(朝)起きられなかったけど、今は歳(とし)のせいか起きちゃうから。馬に乗らないと気持ちがすっきりしないからね」と笑う。 私が競馬記者になり、名刺を持って初めてあいさつに行った時、「名前に馬が入ってるじゃねぇか」と北海道なまりで返されたことを今も鮮明に覚えている。競馬に関しては決して口数が多いと言えず、記者泣かせかもしれない。それでも馬に真摯(しんし)に向き合う姿はずっと目の当たりにしてきた。騎乗依頼があれば、わざわざ栗東に駆けつけて調教することもある。デビューから33年目を迎え、「とにかくここまで馬に乗せてもらえたことがラッキー」と謙遜するが、「競馬に乗る以上、ちょっとでも(馬を)知らなきゃいけない。クセをつかむためにも、血統を勉強してるんだよ」と
◇獣医師記者・若原隆宏の「競馬は科学だ」 17日、外電でショッキングなニュースが飛び込んできた。豪州の生産牧場が、胚移植によって生産した馬をサラブレッドとして登録したという疑惑。いわゆる「代理母出産」だ。 競馬に関する“国際条約”である「パリ協約」はサラブレッドの繁殖について第12条2の1で自然交配を義務づけ、同3の1で「妊娠は受精卵が生じた牝馬で継続されなければならない。人工授精、胚移植、クローン、その他いかなる遺伝子操作による馬も登録を許さない」と定めている。 代理母出産によって企てられ得る“悪事”は主に2通り。1つは血統的に価値の低い繁殖牝馬に、良血の胚を移植。産駒が成功したのを待って、値上がりした代理母を売り抜ける。もう1つは、高齢の良血繁殖牝馬による胚を、若い繁殖牝馬に移植。産駒を遺伝的に本来の母が分娩(ぶんべん)したかのように偽装して登録する。 前者は産駒の遺伝子を調べれば摘発
1998年の天皇賞(秋)では大本命ながら競争中止となったサイレンススズカ (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る 新型コロナウイルスの影響で無観客開催が続いていた日本の競馬も、10月から限定的ながら観客の入場が再開。それを祝うかのようにデアリングタクト、コントレイルが無敗での三冠達成という偉業を相次いで達成し、アーモンドアイは史上初めて芝G1の通算8勝を成し遂げた。 【アスリート美女図鑑】ジャージ姿の初々しい藤田菜七子騎手はこちら! 人気を集めた主役が期待通りに勝利を収めてハッピーエンドが競馬の醍醐味ならば、大多数が予期していなかった結末を迎えるのも競馬の面白さ。今回は記憶に残る大波乱のエンディングを迎えたG1レースをいくつかピックアップしてみる。 大波乱とひと口に言ってもパターンは2つに分けられる。人気薄の伏兵たちが上位を占めて超高額配当が飛び出したレースと、大本命馬がまさかの敗戦を
ホースガーデンしらおい@牧場主ゆーすけ😈 @horsegarden2011 コロナでご来場できないオーナーさんに送る写真と動画を撮ろうとすると、いつもゴロゴロされて汚くなった馬しか撮れない、、 pic.twitter.com/dgXrbylPEt
株取引を始めたら、副業を始めたら 老後の生活を安定させるため、年金だけではなく株取引や不動産投資といった副業で収入を得ようとする人は多いだろう。 株を売って得た利益(譲渡所得)は、給与や配当金などの所得とは分けて課税される。税率は約20%と高いため、節税対策が重要だ。 「公的年金以外で年間20万円以上の儲けを出した場合、確定申告の義務があります。多額の利益が出たにもかかわらず確定申告をせずにいると、追徴課税の対象となります」(消費生活アドバイザー・丸山晴美氏) だが、口座開設の手続きで証券会社が用意する「特定口座(源泉徴収あり)」を選べば、株取引で利益が出た場合に税金を源泉徴収してくれるため、確定申告をする必要がない。開設にはマイナンバーカードが必須だ。 ただし、株で損したときは、確定申告したほうがいい。源泉徴収された株の儲けと、譲渡損の「損益通算」ができる。 株取引以外にも、介護や家事代
女手一つで育ててくれた母を楽にしてあげたいと騎手を目指す 「もう1周!!」 あの時の声が忘れられないと山田敬士は言う。 騎手デビューしたばかりの2018年。10月13日に事件は起きた。 先週3月28日の中京競馬第1レース。勝利した山田が騎乗したのは大江原哲厩舎のエバンタイユドール。元は故・高市圭二調教師が管理していた馬。高市にとって幻の通算300勝となった。今回はその山田に例の事件の真相と当時の心境、そして生い立ちから振り返ってもらい、現在の思いまで語っていただいた。 1997年9月18日、東京の東村山で山田は生を受けた。現在22歳の彼には2歳ずつ離れた弟が2人いる。小学生の時に両親が離婚し、3兄弟はいずれも母のさつきに育てられた。 「金銭的に恵まれていなかったので、母は僕達3兄弟のために昼夜を問わず、働いてくれました」 「早く稼げるようになって母に楽をさせてあげたい」と思うようになった山
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く