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ブックマーク / www.kaynotes.com (9)

  • いよいよ闇が襲ってくる : ITスペシャリストが語る芸術

    12月25 いよいよ闇が襲ってくる Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育は長寿大国であるらしい。 これはどういうことかと言うと、老人が不幸だということだ。 「逆じゃないのか?老人は幸福だから長生きなのでは」 と言う人もいるかもしれない。 しかし、表面に現れることなんて、質と逆のことが多いのだ。 「いい子」と言われる子供ほど心は歪んでいるし、優等生ほど質で馬鹿だ。 店員の愛想の悪い店ほどよく売れるということも多い。 アメリカの有名な自己啓発プログラム(高額だ)のカタログには、そのプログラムの開発者である億万長者の社長が、豪邸で孫達に囲まれて、みんなで笑っている写真がある。そして、大きな文字で、彼がいかに幸福な人生を達成したかを示す言葉が書かれていたが、この社長は間違いないなく、当は不幸だ。子供や孫達の笑顔も不自然で不気味だ。 日はともかく、自然に囲まれた、景色の

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    danzaemon 2012/12/26
  • カツアゲの原理を逆に応用すればいじめっ子も手が出せない : ITスペシャリストが語る芸術

    8月1 カツアゲの原理を逆に応用すればいじめっ子も手が出せない Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 「カツアゲ」とはおかしな言葉だと思う。なぜ、「カツサゲ」でないのだろう? 脅している相手を上げてどうするのだ? 『涼宮ハルヒの憂』で、ハルヒ(高1女子)は、キョン(高1男子)に言うことを聞かせるため、自分よりずっと背が高いキョンのネクタイを掴んで上に引っ張り上げ、 「協力しなさい!」 と命じる。 キョンは、「カツアゲされている気分だぜ」と思う。 カツアゲの時は、普通、襟首を掴んで上に引っ張り上げる。 なぜこんなことをするのか、考えたことがあるだろうか? こうされると、やはり不安な気分になるのだ。つまり、上に引っ張られているのだから、「落ち着かない」のだ。なかなか論理的ではないか? だが、おかしなことに、よく見たら、襟首を掴んでいる方も、まるで、見えない手に襟首を引っ張り上

  • 強く生きるという意味 : ITスペシャリストが語る芸術

    7月23 強く生きるという意味 Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 10年以上前、自己流の格闘術を編み出し、人は「世界最強と思う」と豪語していた19歳の青年が、その後、急性前骨髄球性白血病(APL)で亡くなられたが、K-1でも屈指の格闘家だったアンディ・フグさんと対戦したことがあった。 予想通り、その青年は全く歯が立たずに敗れたが、アンディは、その青年に敬意を払った。 世間は青年を失笑したと思うが、私は、彼が、自分の格闘術は世界最強と言ったのを、別におかしなこととは思っていない。ただ、リング上でプロ格闘選手と戦ったことが間違いだったのだ。 例えば、この私が、無敵の格闘術を作ることも出来る。それで、プロ格闘選手と戦ってみろというなら、出来ないことはない。ただ、その格闘選手や関係者がどうなってもいいならだ。 内容はほとんど覚えていないが、こんな映画があった。 ある男は、かつ

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    danzaemon 2012/07/24
  • 悲惨な運命をどう扱うか : ITスペシャリストが語る芸術

    6月3 悲惨な運命をどう扱うか Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 母親こそ、諸悪の根源であるという考え方がある。 著名な精神分析学者の岸田秀さんは、中学生とか高校生の時には、自分の精神が極めて変であることに気付き、それを解明すべく、大学は心理学(早稲田)に入った。 しかし、そこは、自分が思っていたような学問・研究をする場ではないと分かり、独学でフロイト精神分析学を学んだ。 結果、見事、自分の精神の逸脱の原因を究明し、ある程度の修復にも成功したという。 彼が、自分の精神異常の原因が母親だったと理解できたのは、母親が死んだ後だった。 母親は、自分の欲望のために、息子をいいなりにするよう、幼い頃から躾けていたのだった。それで、自分のやりたいことが何もできない岸田秀さんの精神がおかしくなったというのが真実だった。 ただ、岸田さんは、それが母親の普通の姿なのだと言う。 我々が普遍

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    danzaemon 2012/06/26
  • 人生という悪夢から目覚めてみれば : ITスペシャリストが語る芸術

    6月18 人生という悪夢から目覚めてみれば Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 以前に購入していた、1972年のイギリス・イタリア映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』のDVDを観た。 アッシジのフランチェスコと呼ばれるキリスト教の聖人の若き日々を描いた作品だ。 イタリアの豪商の息子であったフランチェスコは、おぼっちゃまながら18歳の健康な若者だった。 しかし、戦争に行って悲惨を体験し、さらに熱病に冒されて命からがら家に戻り、生死の境をさ迷う中、精神の変革が起こった。 回復したフランチェスコは別人になっていた。 鳥や花といった自然の姿に、イエスの教えの真意を感じた。 人々は、戦争から帰ってきたフランチェスコは頭がおかしくなったと言ったが、クレアという美しい娘だけは、「おかしかったのは以前のあなたの方」と言った。 フランチェスコの家は、布製品を扱う商人であると共に、染物工

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    danzaemon 2012/06/26
  • 醜女が一瞬で息を呑む美女になった話 : ITスペシャリストが語る芸術

    5月31 醜女が一瞬で息を呑む美女になった話 Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 美しくなるのは大変なことだろう。 ところが、一瞬で美しくなった非常に印象的な話がある。 別に、一般受けするような怪しい話ではない。 美しいという言葉など全く無縁で、むしろ、蔑み疎まれるような容貌で、若くもない女性が、前から彼女を知っていた者に、「あなたって綺麗ねえ」と感嘆されるほどだった。 注意していただきたいのは、「あなたって綺麗ねえ」であり、「綺麗になったねえ」ではないということだ。 エステやメイクで表面的にどうにかしたというのではない。 メイクもしなかったし、髪型も変えなかった。まして、ダイエットする期間などなかった間の出来事である。 こういった話は、空想ではなく、十分に有り得ることと思う。 1つは、英国の著名な作家コリン・ウィルソンの『賢者の石』にあるお話だ。 コリン・ウィルソンは、

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    danzaemon 2012/06/26
  • 私はこうやって恐怖症を全て克服した : ITスペシャリストが語る芸術

    6月25 私はこうやって恐怖症を全て克服した Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 人間には色々な恐怖症がある。 高所恐怖症、閉所恐怖症、先端恐怖症、虫恐怖症、蛇恐怖症・・・等、実にいろいろある。 時々、恐怖症は、前世に原因があるのだと言う者がいる。 例えば、水の恐怖症は、前世で水死しているからだとか、閉所恐怖症は、狭い場所に閉じ込められて身動きできないまま死んだからだとかいった感じである。 分からないが、それは多分無い。しかし、そんなことは、どうでもいいことだ。 私も、いくつかの強い恐怖症を持っていたが、全て消えてしまった。 いや、消えてしまったも同然になったのだ。 私は、高所恐怖症や、脚の長い虫等に対して、以前は激しい恐怖を感じていた。 ところが、今でも恐いと言えば恐いのであるが、どうでもよくなってしまった。 「勝手に恐がってろ、自分」といった感じである。 人間の性質は

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    danzaemon 2012/06/26
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  • 赤ん坊は母親のための悟りグッズ : ITスペシャリストが語る芸術

    6月23 赤ん坊は母親のための悟りグッズ Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 電車の中で、若い母親が、乳母車に乗せた赤ん坊の側や、少し大きな幼児を座席に座らせた横で、携帯電話やスマートフォンをずっと触っている。 そんな光景をよく見る。 私が見た時がたまたまそうなのではなく、その母親は、いつもそうなのだろう。 家の中でも、その子に特に構う必要がないなら、そうしているのだろう。 かつて、母親というものは、どっしりと静かに落ち着いていた。 実は、昔の母親はほとんど全て、悟りを開いていたのである。 聖者を求めてヒマラヤに行く必要はなかった。それと等しい存在が家の中にいて、家は調和し、子供達は正しく生きる知恵を得ていたのである。 母親が永遠の道(タオ)と一体化した宇宙のような存在で無くなったのは、テレビの普及で、子供の様子を見るよりも、テレビを見ていることが多くなってきた頃からだ。

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    danzaemon 2012/06/26
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  • ITスペシャリストが語る芸術

    4月3 やる気にさせたいと思って書いた話 Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 神とは何かというと、ネヴィル・ゴダードによれば、「私は在る」という自覚であるらしい。 その根拠は、旧約聖書で、神がモーセに、「私は『私は在る』という者だ」と言ったことによるのだが、ゴダードは、旧訳聖書をヘブライ語(へブル語)の原典で読めたらしい。 自分でヘブライ語で読めたのではないかもしれないが、ウィリアム・アーネスト・バトラーは、言語学者の様々な解釈を研究した上で、 「私は『私は在る』という者だ」の解釈に疑問を唱えているが、こういうことは疑問がなければむしろ信じることは出来ない。 そして、異なる解釈も、結局は 「私は『私は在る』という者だ」という意味になることが分かれば、信憑性が高まる。 神とは絶対的真理だという方向から探求することも出来る。 これに関しては、ニサルガダッタ・マハラジが、「あな

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    danzaemon 2012/06/26
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