1993年、わずか100日間で人口の一割、80万人が農作業用のナタ(マチェーテ)で虐殺されたルワンダのジェノサイド。その現場に立ち会った国連平和維持部隊長官の手記。 背が低く農耕中心のツチ族。背が高く放牧で暮らしていたフツ族。植民地時代、ベルギーは少数派のツチ族を優遇することで広大なプランテーション経営を実現した。独立後ほどなくして双方は内戦に陥る。1993年、乏しい予算の中停戦監視団として送られた国連部隊の人数はわずか数百人(ちなみにダルフール危機の国連派遣軍は1万8千人)。その長がカナダ軍出身のダレール氏だった。増員の願いもむなしく、ついに山刀を手にしたフツによるツチの無差別襲撃が始まる。 食糧も水も薬もない。押し寄せる避難民たち。状況打開のためには虐殺の当事者との交渉の場にも出なければならない。長官が「かれらを銃撃してしまう極度の誘惑にかられるような場合を想定して、ピストルから弾丸を
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