ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (4)

  • 塩川伸明『民族とネイション』など - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書) 作者: 塩川伸明出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/11/20メディア: 新書購入: 15人 クリック: 94回この商品を含むブログ (60件) を見る先日、塩川伸明『民族とネイション』を読了。少しメモをしておく。 はじめに 第I章 概念と用語法――一つの整理の試み 1 エスニシティ・民族・国民 2 さまざまな「ネイション」観――「民族」と「国民」 3 ナショナリズム 4 「民族問題」の捉え方 第II章 「国民国家」の登場 1 ヨーロッパ――原型の誕生 2 帝国の再編と諸民族 3 新大陸――新しいネイションの形 4 東アジア――西洋の衝撃の中で 第III章 民族自決論とその帰結――世界戦争の衝撃の中で 1 ナショナリズムの世界的広がり 2 戦間期の中東欧 3 実験国家ソ連 4 植民地の独立――第二次世界大戦後(

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  • 経済が政治を - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20100412/1271074489 広坂さん曰く、 ところで、新自由主義と新保守主義の相性がいいのは、新自由主義というものがその名前通りのリベラリズムではなく、優生主義に近いものだからなのではないかという気がしている。新自由主義を名前通りに、政治思想・経済思想の自由主義のニューバージョンとすると全体主義化する理由がわからなくなるが、優生主義の一種だとすれば社会有機体説を採るのだろうから、筋の通らないことではなくなる。新自由主義的政策に賛同する自称国家主義者に露悪的なまでの差別的言動や排外主義がまま見られるのも、原因はそんなところにあるのではないかなどと思う。卓見だと思う。 ただ、さらに根深い問題として、現代社会において〈政治〉が〈経済〉に乗っ取られてしまっているのではないかということを指摘しておきたい。よく言われる新自由

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  • 「かわいそう」を超えて? - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「かわいそう」というのは、山形氏が述べているような、或る個人が社会福祉とかにコミットする動機としては成り立つかも知れないが、社会福祉や社会保障という制度は基礎付けられないし、〈制度〉的な振る舞いとしての社会福祉や社会保障の実践の動機付きとしても成り立たないだろう*2。社会福祉や社会保障というのは、相手を「かわいそう」と思うかどうかということではなく、その対象がwell-beingを欠如している状態にある、或いは〈困っている〉状態にあるということにおいて発動される実践だからだ。実際の話、「かわいそう」どころか〈憎たらしい〉と思う、或いは〈ぶっ殺してやりたい〉と思うような障碍者や老人は掃いて捨てるほどいるだろう。だからといって、そういう人たちを放置していいというわけにはいかない。多分、こんなことが問題になるのは、端的に言って、世俗化の帰結だろう。村上陽一郎氏が述べているように、そもそ

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  • 「速度」や「身体性」など - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091212/1260650699やhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100104/1262578368に関係する。 http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20100116/1263641297 雲南に行く直前に読んだ。今頃になって反応。 やねごんのひらがな分かち書きなんだけど、とりあえず人の言うように馴れの問題はあるとしても、やはり漢字仮名交じり文よりは、読む速度が落ちるものであることは確かなことのように思えるのですにゃ。漢字のような表意文字における読み手の認識の速度の優位性はあるのではにゃーのか。 ひらがな分かち書きに馴れてにゃー人は、さらに読む速度が落ちるでしょうにゃ。で、読む速度が落ちると、どうしてもテキストが身体性を獲得してしまう。 やねごんの

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    darkserpent
    darkserpent 2010/02/08
    ある種の音声中心主義はむしろ害になったこともある(明確に意識されていなかったが)。盲聾者であっても指点字などで「会話」ができるように、音声は言語にどれだけ近くても言語そのものではない。↓そう、それです
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