携帯電話の本格普及から10年余り。国内市場の端末利用は1億台と飽和に近づき、プレイヤーも様変わりした。圧倒的な存在感で君臨してきた王者・NTTドコモ、打倒ドコモを旗印に大合併した挑戦者・KDDI(au)、外資に巨額の買収資金を払って参入した異端児・ソフトバンク。かつての序列は崩壊し、今や3強が商品開発、サービス、マーケティングに死力を尽くして戦う「三国志」の時代に突入した。時あたかも総務省が販売方法の健全化を指導し、料金体系やサービスを根本から見直す変革期にある。旧来のビジネスモデルから脱却し、中原に覇を唱えるのはどこか。あるいは世界に飛び出し、新たな進化を遂げるのはどこなのか。岐路に立つケータイ3社が描く新戦略を、3回シリーズで描く。 国内シェアの約5割を握り、携帯電話産業を牽引してきたNTTドコモ。しかし、自社技術や独自仕様への意固地なまでのこだわりは、日本の携帯市場が世界から孤立し
15日に中国と対戦、ベスト4進出を決めたサッカー女子の「なでしこジャパン」。女子サッカーは知名度、観客動員、練習環境に恵まれなかった「冬の時代」があった。厳しい時代を経験した女子サッカーの先達は、完全アウェーでの中、ピッチに立つ後輩たちにエールを送っている。 6日のニュージーランド戦と9日の米国戦。試合が行われた秦皇島に、アトランタ五輪女子代表の主将を務めた野田朱美さん(38)の姿があった。 「なでしこ」は2試合とも苦戦を強いられたが、野田さんは「日本の調子が悪いというより、芝が長いあのピッチでは、日本が得意とする長短のパスをつないで、ゴールに迫るサッカーができていなかった」と分析する。 野田さんは小5からサッカーを始め、15歳で日本代表入り。女子サッカーが五輪の正式競技となったアトランタで主将を務め、ドイツ戦でゴールを決めた。 野田さんがプレーしていたころ、女子代表をめぐる状況は
星野監督が試合終盤、球審の勘違いにより退場を宣告される場面があった。九回一死一塁で里崎(ロッテ)はハーフスイングをとられて三振を喫した。ベンチから通訳と一緒に出てきた星野監督に対し、球審は抗議と判断して一度は退場を宣告した。 しかし、実際には「代打村田」を告げることが主目的だったため、退場にはならず試合終了まで指揮した。星野監督は「おれはピンチヒッターと言っているのに…。審判員は自分の間違いだと言っていた」と苦笑いしていた。(共同)
読売新聞青森県版の7月28日付記事で、捏造(ねつぞう)された談話が掲載された問題で、同社は13日、この記事を書いた同社青森支局の男性記者(24)を休職3カ月、支局長をけん責の懲戒処分とした。 記者は同月27日、青森市内であった全日本吹奏楽コンクール青森県大会一般の部で銀賞を受賞した団体の団長の名前をインターネットで検索。団長に取材をせずに談話を捏造した。また、検索した団長の名前は前団長のものだった。
太平洋戦争開戦時の首相だった東条英機陸軍大臣が、終戦直前の緊迫した情勢の中で心情をつづった手記が国立公文書館(東京都千代田区)に所蔵されていることが12日、わかった。 昭和20年8月10日から14日の間に書かれたもので、昭和天皇が臨席された10日の重臣会議の記述から始まる。東条元首相は政府がポツダム宣言受諾を決めたことについて、11日に「新爆弾に脅(おび)え、ソ連の参戦に腰をぬかし一部条件を付し在りといえども、全く『敗戦者なり』との観念に立ちたる無条件降服を応諾せりとの印象」と政府の“弱腰”を厳しく批判している。 13日には「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及び国民の無気魄(むきはく)」に嘆息を漏らし、自身の責任に言及する。そして14日には首相時代の秘書官にあてて「大義に殉ぜる犠牲もついに犬死に終らしむるに至りしことは前責任者としてその重大なる責任を痛感す
北京五輪で世界中の報道陣に配られたプレスキットの中に入っていた携帯ラジオに衝撃の事実が隠されていた。 携帯ラジオの北京五輪ロゴマークのシールを剥がすとそこにはなぜか小倉優子らしきグラビア写真が!
520人が犠牲となった昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故から23年を迎えた12日、墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」では、遺族らが早朝から慰霊登山に訪れ、御霊(みたま)の眠る尾根を目指した。 尾根に通じる村道や迂(う)回(かい)路の林道が土砂崩れで通行止めとなったため、仮設歩道を整備し、バスを乗り継ぐ方法で実施された。遺族らは、崩落現場の手前でシャトルバスをいったん下車し、仮設歩道を歩いて尾根に向かった。 長女の山岡知美さん=当時(17)=と二女の薫さん=当時(14)=を亡くした主婦の清子さん(61)=堺市=は「土砂崩れで今年は慰霊登山ができるか不安だったが、何とか登れることになって安心した」と話していた。 尾根に着いた遺族は「安全の鐘」を鳴らし、「昇魂之碑」で手を合わせた。線香のにおいが立ちこめる墜落現場の墓標の前には、犠牲者が好きだった酒や果物を供えていた。 同日夕
実感のないまま、ダラダラと続いてきた2002年2月からの景気回復局面が終わったようだ。政府が8月の月例経済報告で、景気の基調判断を前月までの「景気回復は足踏み状態」から「景気はこのところ弱含んでいる」に下方修正し、景気回復の打ち止め宣言をした。 これで解禁になったかのように始まったのは、景気対策を求める政治家らの大合唱である。原材料高に苦しむ農業者や漁業者、運輸業への支援に加え、高速道路の料金引き下げまで財政出動を求めるメニューが盛りだくさんだ。次期総選挙対策をにらむ自民党の麻生太郎幹事長(67)が、財政健全化よりも景気対策を優先する方針を示したことも、景気対策のバラマキ機運に拍車を掛けている。 そこで、交差する議論は、「景気対策が先だ。そうしならなければ、税収だって増加しない」「いや、財政再建路線をやめたとなれば、国債の金利が上がって景気にはむしろマイナスだ」「いまこそ、構造改革で内
中国外務省は6日、中国製ギョーザ中毒事件をめぐり「中国国内で6月中旬に中毒事件が起きていた」と認めた。その上で「中国政府は事件を極めて重視している。公安省が全力を挙げて捜査を展開している」と表明した。 共同通信の書面質問に答えた。質問は「天洋食品(中国河北省)が回収した冷凍ギョーザで、6月中旬、中国国内で中毒事件が起きたか」との内容だった。 一方、輸出食品の安全管理を担当する中国国家品質監督検査検疫総局の報道課は「日本からの報道で初めて知った。事実関係を確認中だ」と述べ、事件発生の確認を避けた。また、工場地元の河北省衛生庁衛生監督局は天洋食品のギョーザについて「同じ皮でつくったギョーザはすべて廃棄してある」と述べ、国内で流通したとの見方に疑問を投げかけた。(共同)
「わが家にとっての松本サリン事件の終わる日というのは、妻が治った日、あるいは死んだ日。ですから松本サリン事件は、これで終わった日になる。そんな位置付けになると思う」。河野義行さんは5日午後、長野県松本市の自宅前で報道陣の取材に応じ、妻、澄子さんの死去にふれて、こう語った。 澄子さんの14年間の闘病生活を振り返っては、「やっぱり生きる意義を感じていたと思う。それは、自分がいつも妻に『あんたは寝ているだけと思っているかもしれないけれど、実は家族や私を支えているのは、あんたなんだよ』と言っていたので、彼女の中では、生きる意義があって、命のギリギリまで燃やし続けてくれた」と話した。 松本サリン事件の実行犯らに対しては、「以前と変わらない。憎んだりする思いは今でも持っていない」と述べた。 また、事件前の澄子さんの人柄を聞かれた河野さんは、「格安商品が大好き。スーパーで肉が安いと3キロ、4キロと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く