ビバップ×エガちゃん お詫び:中国公安当局が中国当安公局になってました('A`) 比較版sm4866016 前作エガノートsm4086210 追記(12/17):やっと新作できました→エガシラバスターズ!(sm5577286)エガちゃんMADマイリストmylist/8740415 その他のマイリストmylist/6267662
ときおり、絶望的な気分になることがある。この世の人間というのは、実はそれほど頭が良くないのではないかと思うときだ。 実生活でも使えるディベートテクニック - タケルンバ卿日記 こんな記事が話題にあがっていた。別に俺はディベートやってたわけでもないけど、ここにあるような話し方、考え方は普通のこととして受け入れているものだ。 いや、別にタケルンバさんの記事が悪いと言ってるわけじゃない。無自覚にやってることを自覚的にやるためにも、こういう記事は非常に有用だと思う。 ただ、これを見てまた少し、俺は絶望的な気分になった。 「中華はイヤだ」と主張し、昨晩の料理写真を出したとしても、それだけじゃ何のことかわかりません。これまた「で?」という話。何でそういう主張につながるのか。何故そういう写真が出てきたのか。周りは意味がわかりません。主張と証明の間がリンクしないのです。唐突過ぎて意味が通じないのです。 …
ぼくはたちは、およそひとりの例外もなく他者を抑圧してしまう存在である。 ぼくたちは、ただ生きているだけで同調圧力によって他者を抑圧している。ここ数日、結婚や出産を祝福することが、結婚や出産をしない、或いは、できない人たちを抑圧するという類の多くの意見を目にした。祝福は純粋に個人的な好意の表明であったとしても、結婚や出産を「善なるもの」とする政治的態度と客観的に区別はできない。簡単にいえば、不妊の男女にとって周囲で「当たり前に」繰り返される「祝福される出産」は極めて深刻なプレッシャーになり得るということだ。たとえ、祝福する人間に彼らを抑圧する意図がなくても、だ。これは何も出産に限った話ではない。 何故なら、こうした抑圧の根本は多様性のアンバランスにあるからだ。つまり、マジョリティはマジョリティであるというだけでマイノリティを抑圧してしまうのである。たとえば、友人の結婚や出産を祝福するといった
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