秋田市にある秋田大学医学部附属病院では、病院周辺が記録的な大雨により浸水し、医師や救急車が院内に入れない状況になっているため、救急外来や救急車による患者の受け入れを急きょ取りやめました。 病院には数百人が入院しているということですが、入院患者の治療に影響はないとしています。 病院は雨の状況をみながら、受け入れ再開の時期を決めることにしています。 秋田大学医学部附属病院は「初めての事態で非常に驚いている。なるべく早く再開できるように、雨の状況を注視しながら判断していきたい」と話しています。
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秋田県内では記録的な大雨の影響で、広い範囲で浸水の被害が出ていて、15日夜には秋田市中心部の住宅街で消防が住民をボートで救助する様子も見られました。16日朝になって水位は下がってきていますが、住宅や車が水に浸かったままです。 秋田県内の被害の状況を随時、映像とともにお伝えします。 6:00ごろ 秋田駅近くの道路 冠水続く 16日午前6時ごろ、秋田市のJR秋田駅近くで撮影された映像では、線路の下を通るアンダーパスの部分が完全に水没し、通行できなくなっていて、流されてきたとみられるタイヤや衣装ケースなどの大量のがれきが水面に浮かんでいます。 撮影した男性によりますと、水は少しずつ引いているように見えるものの、周辺では水につかった車のものとみられるクラクションが鳴り響いているということです。 午前5時すぎにNHK秋田放送局の屋上に設置されたカメラから見た秋田市中心部にあるJR秋田駅南側の様子では
アメリカ海軍でビッグEの愛称でも親しまれた、旧原子力空母「エンタープライズ」の解体をどのように進めるべきかの論議がここ数年アメリカ国内で続いていましたが、ようやくまとまる気配をみせつつあります。 停泊しているだけで数百万ドルを費やす船に アメリカ海軍で「ビッグE」の愛称でも親しまれた、旧原子力空母エンタープライズの解体をどのように進めるべきかの論議が、ここ数年アメリカ国内で続いています。 拡大画像 50周年イベント時の「エンタープライズ」(画像:アメリカ海軍)。 同空母は世界初の原子力空母として、2012年12月に退役するまで55年以上に渡りアメリカ海軍の象徴ともいうべき存在でした。 退役後も除籍はされていませんでしたが、ついに2017年2月正式にアメリカ海軍から除籍され、式典がバージニア州ノーフォークで行われました。その後、同艦はバージニア州のニューポートニュース造船所に置かれており、一
国指定の難病「黄色じん帯骨化症」に対する新たな手術が海外の医学誌に発表され、その名前が、この手術を受けて今シーズン復帰したプロ野球、DeNAの三嶋一輝投手にちなんで、「MISHIMA手術」と命名されたことが分かりました。 DeNAの三嶋選手に手術を行ったのは最小侵襲脊椎治療学会の石井賢理事長などのグループです。 「黄色じん帯骨化症」は背骨付近のじん帯が骨化し神経を圧迫する難病で、グループによると、新しい手術は背骨に開けた直径1センチ程度の穴から器具を差し込み、3次元化した画像を使って赤外線で手術器具の位置などを確認しながら行うということです。 今回、三嶋投手が去年8月に受けた手術が初めての症例としてスイスの医学誌に発表され、三嶋投手にちなんで手術の別名が「MISHIMA手術」と命名されたことが分かりました。 三嶋投手は今シーズン復帰し、ここまでリリーフとして25試合に登板して3勝1敗、防御
1896年(明治29年)から1922年(大正11年)までは、人車鉄道・軽便鉄道の豆相人車鉄道(のちの熱海鉄道)も存在していた。同線の「根府川駅」は、当駅よりも高台の位置に設けられていた。 1923年(大正12年)9月1日に関東大震災により地すべり(土石流ともいわれる)が発生し、当駅に進入中の真鶴行き下り列車(8両編成、乗客約150名)が客車2両を残して駅舎、ホームもろとも海中に没する。列車に乗車していた約110名とホームに居た二十数名の計約130名が死亡した。駅周辺の住民も多数死傷した(根府川駅列車転落事故も参照のこと)。駅構内に残ったのは車止め一つだけだった[3][4]。 駅は翌年再建されたが、沖合の海底には当時のプラットホームが横たわっている。ホーム跡は漁礁のようになり、スキューバダイビングの潜水ポイントにもなっている。なお、ホーム跡にある駅名標は後に付けられたものである。 ホームとと
以下の2社局4路線が乗り入れ、接続駅となっている。 東急電鉄: 東横線 - 駅番号「TY13」 目黒線 - 当駅が終点。駅番号「MG13」 東急新横浜線 - 当駅が終点。駅番号「SH03」 横浜市交通局: グリーンライン[注釈 1] - 当駅が終点。駅番号「G10」 日吉駅の北西にある日吉不動尊付近は東京急行電鉄の前身の一つである東京横浜電鉄が土取り場として最初に買収した地であり、そのため日吉は東急電鉄発祥の地とされている[1][2]。1956年(昭和31年)にその地に「東急電鐵発祥之地」の記念碑が建立され、その後東急記念公園として整備されていたが、2001年に公園が閉鎖され2003年に元住吉駅構内の「東急教習所」に移設されている[1][2][3]。 1926年(大正15年)2月14日 - 東京横浜電鉄(後の東京急行電鉄)が開業[2]。開業時は相対式ホーム[2]。 1936年(昭和11年)
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