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ブックマーク / hsyf610muto.seesaa.net (3)

  • でも、勝ちたかった: 武藤文雄のサッカー講釈

    私は、CKを蹴る田圭祐のはるか後方2階席にいた。 田のキックがやや甘く、ベルギーGKクルトワが飛び出し、パンチングではなく、キャッチしようとする体勢なのがよく見えた。クルトワが捕球する直前、聞こえるわけがないが、私は絶叫した。 「切り替えろ!」 日の選手達も同じ考えなのはよくわかった。しかし、赤いユニフォームの切替が、青い我々の戦士よりも、コンマ5秒ほど早いのも、よく見えた。その約10秒後、反対側のゴールで、若い頃からの夢が完全に実現するのを目の当たりにすることになる。そして、このコンマ5秒差こそ、ここ25年間ずっと抱き続けてきた「近づけば近づくほど、具体化されてくる差」そのものだったのだ。 私のワールドカップリアルタイム?経験(実際には1日半遅れの新聞報道をワクワクして待って行間を夢見る日々だったが)は、クライフとベッケンバウアの西ドイツ大会から。大会終了後、サッカーマガジンとイレ

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    daybeforeyesterday 2018/07/10
    うーむ
  • クラマーさん、ありがとうございました: 武藤文雄のサッカー講釈

    デッドマール・クラマー氏逝去。 いつかこのような日が来るのはわかっていたし、90歳での逝去と言えば、天寿を全うされたと言う事だろう。心からご冥福をお祈りします。そして、ありがとうございました。 ともあれ、自分なりの想いを書かなければなるまい。 コーチとしての日サッカーに提供していただけた直接的貢献は言うまでもない。東京五輪準備段階からメキシコ五輪まで、断続的に日本代表長沼監督を補佐する形態で指導、メキシコ五輪銅メダル、あるいは釜邦茂。 その技術指導の見事さは、直接指導された方に語ってもらうほうがよかろう。 まずこの方から。(前略)社会人、大学生が対象だったが、(中略)山城高校から二村、長岡、ぼくの三人が、特別参加した。(中略) 「そこの大きいの。ちょっと出て来て」 集団の中からぼくが引っ張り出された。 ポーンとボールを投げてよこす。ヘディングだ。威力のないボールが少しそれて返っていく。

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    daybeforeyesterday 2015/09/20
    うーむ
  • さようなら、アギーレさん: 武藤文雄のサッカー講釈

    短いお付き合いだった。 「采配を除いて」非常によい監督である事が明確に判明していただけに残念だ。あれだけ、気が弱く采配面で課題が多いにもかかわらず、見事なチームを作りかけたアギーレ氏。ロシア大会で上位進出を目指す日本代表の基盤作りに最適な監督に、せっかく出会う事ができたのに。 個人的には「推定無罪」原則を、日協会が貫かなかった事は、いかがかと思う。事前には検討のしようがない今回の八百長騒動。残念ではあるが、しっかりと契約を結んだ仲間に降りかかった疑惑。事実はどうあろうが、「推定無罪」原則を日協会が丁寧に主張し続ける矜持を持ち続ければ、サッカーに限らず日史に残る快挙になると期待していたのだが。 告発が受理されて強化云々がと言うが、大仁会長もいい加減、面倒くさくなったのだと思う。足を引っ張るマスコミ、我々はそのレベルの代表チームしか所有できないのだ、と諦める事も一つの経験だろう。 アギー

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    daybeforeyesterday 2015/02/06
    うーむ
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