【自虐ネタ】笑って吹き飛ばしまっせ2012年9月6日 印刷 Check ひと吹きで「わおー!」。「海原はるか・かなた」の看板芸は、大阪ならでは=滝沢美穂子撮影 絵・グレゴリ青山 西条昇准教授 漫才コンビ「海原(うなばら)はるか・かなた」が放つ自虐ネタは強烈だ。 かなたさん(64)が相方のはるかさん(64)の側頭部を「ブゥッ」とひと吹きする。頭になでつけていた髪の毛は浮き上がり、流れ、飛んでいく。それを獅子舞のように頭を振って、元に戻すのだ。 はるかさんは40代の頃、自身の薄毛が気になり出した。熊本出身の九州男児。「あるものがなくなるってのはイヤだった」。ところが大阪で開き直ってネタにしたところ、客は劇場を揺らすほどの笑いで応えた。いまは思う。「この頭で、芸人として生きていける」 関西では、街を歩けば自虐ネタにぶつかる。 曇天の下、おっちゃんはテカテカ頭をさすってニヤリと笑う。「灯(あか)り
【ラジオ塔】とうの昔に役割…終えず2012年5月24日 印刷 Check 今は使われなくなったラジオ塔近くで毎朝ラジオ体操する近隣住民のみなさん。中は空洞になり、落ち葉がたまっていた=京都市北区の船岡山公園、竹花徹朗撮影 絵・グレゴリ青山 落語家桂吉弥さん 昭和の時代、力道山のファンが囲んだのは街頭テレビ。平成の世、ラジオ体操の愛好者が望むのは「街頭ラジオ」、ラジオ塔の復活だ。 正式には「公衆用聴取施設」という。石やコンクリート製で、高さはだいたい2〜3メートル。見た目は灯籠(とうろう)か焼却炉のようだが、中に受信機とスピーカーがあり、おなかの辺りのボタンを押すと放送が流れた。 1925(大正14)年、NHKの前身の東京放送局がラジオ放送を始めた。高級品だったラジオを普及させようと、公園や神社の境内にラジオ塔の建立を構想。30年、大阪・天王寺公園を皮切りに立て続けに関西に4基建ち、その後、
【レジャービル味園】昭和な不夜城 よっしゃ2011年11月10日 印刷 Check 元キャバレーの「ユニバース」は貸しホールに。音楽イベントなどが開かれる=大阪市中央区、中里友紀撮影 500人が集まることのできる味園の大宴会場。大瓶ビールは今も290円だ ビル内には、バーや喫茶店レコード店もある 絵・グレゴリ青山 チチ松村さん 「みその……、みその……」。昔は深夜のテレビCMの常連で、エコーの声が睡眠学習のように脳ミソに刻まれたもんです。だからアナタも知っている……はず。「レジャービル味園(みその)」を。 味園が黒門市場に近い大阪・千日前に現れたのは1956年。地上5階、地下1階の大建築は初代オーナーの故・志井銀次郎氏がデザインした。今なお大瓶ビールは290円、500人OKの5階の大宴会場は、キンキラふすまに真っ赤な柱、欄間には竜の彫刻が躍る。 4階は、客室の窓側が風呂場になっているホテル
【うーん、マンダム】匂い立つ男の世界2011年10月6日 印刷 Check 「男も美しく」という理念を貫くマンダム。男性用化粧品の開発を担当する若手男性社員に「うーん、マンダム」のポーズをとってもらった=大阪市中央区、中里友紀撮影 ボディローションを使用するマンダムの男性社員 男性用のヘアスプレーやワックスなどマンダムの商品 絵・グレゴリ青山 大林宣彦監督 眉を整える男の子が珍しくなくなり、雑誌には「第一印象を左右するオトコの『肌ケア』入門」「オトコのモテ肌」なんて特集も。 そんな美肌を目指す現代のオシャレ男子が出現する80年以上も昔から、男性の美を追究してきたのが、化粧品会社「マンダム」だ。 たまに外資系と勘違いされるが、1927(昭和2)年の創業当初から大阪に本社を置く。 「愛にあふれていて、優しくて、挑戦と夢を忘れない。こういった普遍的な理想の姿を踏まえつつ、時代に応じた新たな男性像
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