高校現代文が「文学国語」と「論理国語」に分かれる 文学というと「非実用的」「不要不急」というイメージを持ってしまう方が少なくないようです。これはとても残念な誤解です。 その誤解が、いま国語教育の現場でも広がっています。高校の現代文の領域では、契約書や自治体の広報といった実用文の読解を中心とする「論理国語」と、これまでのような小説などを中心とした「文学国語」に分かれ、大学入試や単位システムの問題から、ほとんどの生徒が「文学国語」を取らず、「論理国語」のみを学ぶことになるのではないか、と危惧されています。 これは文部科学省が2018年に告示し、2022年春にスタートした新学習指導要領にもとづいた政策です。 こうした選択制がはらむ危険性はきわめて高いと考えます。というのも、選択しなくて済むなら生徒は自分の苦手な科目は勉強しなくなってしまうものだからです。論理国語のみを選択すれば文学国語は弱くなり
![『こころ』も『羅生門』も不要なのか…高校国語で"文学"がどんどん減っていくことの大きすぎる弊害 文学は「非実用的」でも「不要不急」でもなく仕事のできる人を育てる](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/41c6589b3efe22ae22f4bc6152bce3f3ff22e448/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpresident.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F6%2F2%2F1200wm%2Fimg_62d33541beae985b4414b93e760513bb1012518.jpg)