差別をしませんよ、という表明は素晴らしいし、世の中そうあるべきと主張することも素晴らしいことだと思う。それでもなお、なんかちょっと奥歯に物が挟まっちゃうよなあ的なもどかしさを感じるのは、その運動が他の何かを排除するように見受けられる行動をしばしば取るからなんだよね。 一番問題なのは、何かに対する「対立姿勢」を明確に取るようなことがある場合。しばき隊の悪いところの典型がそれで、結局のところ自分の思想と相容れない相手と闘争しているだけの当事者を無視した自称知的階級のお遊び(ただし真剣である)に見えてしまうところなんだろうなあと。 それを象徴しているのが何かにつけ「反」という文字がついて回ること。これは反原発と脱原発って話の時にも思ったことだけど、反って結局オレはそれが気に入らないという以上の何物でもなく、価値観の否定にほかならず、寛容や他者の需要ともっとも遠いところに存在する思想の表出であって