昭和から平成にかけて日本の音楽界を支えた偉大な作編曲家の筒美京平(つつみ きょうへい、本名:渡辺栄吉(わたなべ えいきち))氏が10月7日に亡くなった。80歳だった。 青山学院大学在学時からジャズを演奏していた音楽通で、卒業後の1963年には日本グラモフォンに入社し洋楽部門のディレクターを担当していた。その頃青学時代の先輩で作詞家だった橋本淳の紹介で、フジテレビ社員ながら作曲家として成功していた、すぎやまこういち(本名:椙山 浩一)に師事して作編曲を学んでいる。筒美の才能を見抜いた、すぎやまの推薦もあり、1966年(昭和41年)に藤浩一と望月浩の競作シングル「黄色いレモン」(作詞:橋本淳)で職業作曲家としてデビューする。 1968年12月リリースのいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」では、累計売上150万枚を超え、自身初のミリオンセラーとなり、翌年の第11回日本レコード大賞作曲賞を受