『猿の惑星 創世記』鑑賞。 これは久々に男泣きに燃える映画でした。 SF映画の古典『猿の惑星』前日譚*1でエテ公が人間を支配するにいたった経緯が語られる。予告などで物語らしい物語はほとんど語りきっているのだが、まぁ、要するにアルツハイマーの特効薬開発で動物実験の対象となったチンパンジーが高い知能を得たことで、他の猿たちを率いて暴動を起こし森へ脱走するという話。 オリジナルのシリーズに配慮した“くすぐり”も多く、オールドファンにはニヤニヤできる要素も多いが、いちげんさんにも全く問題無く楽しめる。何だったらこの『創世記』から古いシリーズ5作→ティム・バートン版と見て行くのも逆引き的に発見があり、面白い鑑賞になるだろう。 ただ、元々の『猿の惑星』が孕んでいた人種間の差別や緊張といったメッセージ性は薄い。というか、ほぼ無いと言って良い。旧シリーズとは全く別のところに本作の魅力があるからだ。 主人公
伝説のコミック『あしたのジョー』NEWS山下智久主演でTBSが実写映画化へ http://www.cyzo.com/2010/02/post_3895.html もちろん期待なんかしてない。おそらくテレビドラマのディレクターが監督をつとめ、病み上がりの啖みたいな映画に仕上がるだろう。良くて三池崇史監督作として「マッドマックス2」みたいなスラム街にアニメ版のネバつくテーマ曲が「ドンガッ!プワァ〜〜!ドンガッ!プワァ〜〜!」と響く珍作になるだろう。 それなら物見遊山で見に行くかもしれないけれど、それ以外ならあまり興味は無い。地雷って解ってれば見ないし、だったら絶対的に面白い(少なくとも、貧乏臭さの無いキチンとした映像が見れる)洋画を見ている方がいい。 もし、ボクがプロデューサーなら……というような妄想をしていたら、間違いなく現行のプロジェクトの数兆倍は面白くなりそうだったので、TBSのプロデュ
四海鏡さんのエントリーで江頭2:50が映画本を出している事を知った*1。四海鏡さんは前書きから一節を引用し、『批評する側に立った人間が、こんなにもハッキリと「批評することは簡単だけど、創ることは難しい」と言うのには、本当に勇気がいるんじゃないかと思う。』と褒めてらっしゃるのだけれど、ボクにはイマイチそれが褒めるに値しないのではないか?と思ってしまった。 以下、四海鏡さんが引用した江頭2:50による前書き。 でも、みんなにこれだけは言っておきたい。 例え、どんなにつまらない映画があったとしても、批評するオレより映画のほうが上だ! もし、その映画がウンコでも、オレはそれをエサにしてしか生きていけないハエなんだ。 批評することは簡単だけど、創ることは難しいぜ!そこだけは心して読んでくれ。 一応、本屋で一通り立ち読みしてみたのだけれど、文脈上も四海鏡さんがおっしゃっているように、創作者へのリスペク
「少年メリケンサック」鑑賞。 脚本家、宮藤官九郎/クドカンの監督2作目。 ボクは監督の前作「真夜中の弥次さん喜多さん」は大好きだ。やけくそに真面目な事は一切やらないと心に決めたのっぴきならない旅と、その旅に呼応するように一切を真面目にやらない映画。 公開初日、映画が終わり、客電のついた瞬間の衣擦れの音さえ響くあの空気は本当に素晴らしかった。テレビの人気脚本家が、自分のファンの大多数を切り離すような先鋭的で切実な映画を作ったのだ。本当に痛快だった。 そのクドカンの2本目だ。しかもパンクが題材だ。いろいろと嫌なウワサは聞いていたのだが、そんなのは趣味の違いだろうと劇場へ行った。 ダメでした・・・ この映画の感想をいくつか見て廻ったのだが、「パンクはよく解らないけど、映画は良かった。」というような事を言っている方がいて、大変納得してしまった。 少し前なら『メガネ男子』。今は『草食系男子』などなど
痛いニュース(ノ∀`):洋画離れ止まらず。興行収入4割減少…“若者の字幕嫌い”などが原因か http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1168502.html 元の2chカキコミとブクマのコメント欄あたりから見える『原因』は以下になるだろうか? 値段の高さ なるほど1800円は高い。しかし、ボクはここ最近で1800円払ったのは「ダークナイト」くらい。先行で見て、終電を逃さず帰れるのが『史上最低の映画館』の名をほしいままにしている新宿バルト9だけだったので渋々。 バルト9が本当に最低なのは未だにチケット売り場とパンフレット/グッズ売り場の混雑を解消しようとしない無反省な姿勢と、前売り券が使用できない事が多いから。「ダークナイト」も前売り券を受け付けてくれなかった。 今月は休日出勤が多くて劇場へはまだ8回しか行けてないが、この週末には見たい映画が4〜5本
「ハプニング」鑑賞。 評論家の仕事は総じて楽だ。リスクも少なく立場は常に有利だ。 作家と作品を批評するだけだし、辛口の批評ならばそれは我々にも読者にも愉快なものだ。 だが評論家は知るべきだ。 “平凡だ”と書く評論よりも、平凡な作品の方が意味深い事を。 だが、我々もリスクを冒す時がある。 新しい物を発見し、擁護する時だ。世間は新しい才能に冷淡であるため、支持者が必要だ。 〜〜「レミーのおいしいレストラン」より〜〜 前作「レディ・イン・ザ・ウォーター」で、ある種の頂点を極めてしまったM・ナイト・シャマラン監督の新作。 もの静かで、落ち着いた語り口で淡々とつづるシャマラン節は健在。しかし、相変わらず多くの人を困惑させるだろう静かな狂気もまた健在だ。 たとえばホドロフスキーの様に別次元のルールを持った世界の話というわけでなし、ゴダールの様に“わかりやすく難解”というわけでも無いので、過去の作品との
「黒帯KURO-OBI」鑑賞。 様々な格闘技、武術などの映画は枚挙に暇が無い。ハリウッドではボクシング映画が作られてきたし、メキシコにはルチャ物という非常に特殊なプロレス映画がある。中国武術、カンフー映画はもはや1ジャンルとして括れない程多種多様化している。 当然、日本にも『空手映画』は存在している。有名なのは千葉真一の大山倍達物、「空手バカ一代」「けんか空手極真拳」など。千葉は当の大山から『名誉三段』(誠真会のプロフィールには『四段』とある)を受け、現在は空手団体である誠真会の総裁を勤めてもいるのだが、実際のところ千葉にそれ程の空手スキルが存在するかどうかは眉唾である。少なくとも空手映画に出演していた頃は、さらにたっぷりと眉に唾しなければならないだろう。 千葉はそもそも体操選手あがりで、類い稀なる身体のバネを活かし飛んだり跳ねたり落ちたりのアクションと、軽妙かつ愛嬌のある演技が身上であっ
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