タグ

ブックマーク / ohtani.laff.jp (6)

  • dfltweb1.onamae.com – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。

    deadman
    deadman 2013/09/11
  • ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: 強い気持ち強い愛

    もうすぐ2010年が終わる。 私が東京来たのが 1991年だから、 もう20年もたつ。 いろいろいろいろいろいろいろいろやってきた。 やってやって なんとか生きてきた(笑) 2005年 仕事をなくした我々ダイノジ。なかったね〜仕事(笑) まぁ今年も相当だったけど(笑) 家賃15万円なのに月の給料18万円みたいな。 保険払ったら残金ゼロ。 もうね、笑うしかなかった。 ははは。 そうだそうだ 2005年のこと。 暮れの単独ライブの打ち上げ、その代わりに渋谷の青い部屋で初めてDJイベントをやった。 そのまま、rockin'on主催のフェスティバル COUNTDOWN JAPAN FES05/06の大晦日、の22時、DJという形で初めて出演した。 のちの嫁も 客席にいた。 彼女妊娠していた。 踊りまくるお客さんを観ながら、私の頭にはいろんな場面がコラージュされて

    deadman
    deadman 2010/12/24
  • ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: M-1 2008を観て(携帯で読んだら指つるよ) 

    「プロの芸人になるにはどうしたらいいでしょうか?」 ラジオの投稿やこのサイト宛に今もたまに届く人生相談だ。 いつも僕はこう言う。 「今日なればいいじゃん。今日から漫才師だって言えばいいじゃん。メシえるかどうかってこと?君が好きなあの漫才師も厳密にはメシえてないかもよ。家買えて車乗り回せる漫才師になりたい?それが夢?そんなもんが夢?夢ってのはどういう漫才をやって、どういう生き様を魅せつけるかってことでしょ?そんな痩せっぽちな貧弱なもんが夢なら・・・俺には理解できない。やめなよ」 これはある人の言葉を参考にしたものだ。その人は言う。 「ロックンロールが目的だ」って。 手段でなくて目的だ。 ロックンロールをすることが最終目標、それ以上のことなんかいらないと。 僕はこの言葉の「ロックンロール」によく「お笑い」や「漫才」を当て込む。 キングコング西野君のブログを読んでいると、 それに似たことを進

    deadman
    deadman 2008/12/24
    U字工事はお笑い界のブルーハーブということか
  • ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: LIVE or DIE-もちろん生きるー

  • ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: 2008年ナンバー1、ビバ!アナログフィッシュ!!!!

    「そんときはね、思わず説教したんですよ」 アジカンの後藤君は僕のお気に入りの五反田のタイ料理のお店でランチを頬張りながらそう呟いた。話は今年は開催されるNANO-MUGEN FESにおよんだところ。誰が今年は出るんですかって僕が聞いたとき、後藤君の口からこぼれた最初のバンドがアナログフィッシュだった。こう言ってはなんだが意外な気がした。もっと動員もあって、若者に直接的な影響力のあるアーティストから決めるもんだと思っていたからだ。 こんときアナログはメジャーから契約が切られて、ドラマーが病気療養ということで脱退、 絶対絶命だった。 アナログフィッシュは僕にとってちょっと特別なバンドだ。メジャーの1枚目「KISS」はその年の邦楽アルバムで一番良かった。 そんときから大ファンになった。インディーズ盤は熱心なお客さんがプレゼントしてくれた。「夕暮れ」という曲を何回も聴いた。M-ONで番組をやったと

  • ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: 人生漫才

    「なんでかぶせないんだよ・・・」 2000年、尊敬する放送作家の石原健次さんが稽古場でテレビを観ながらつぶやく。俺は唇を思わず噛んだ。 画面の中には深夜番組のエンディング、相手を褒めあうというコンビネーションで笑いをとりまくるおぎやはぎと、ギクシャクと相方の欠点をなじることで笑いを獲ろうとする俺とニヤニヤと笑う相棒がいた。 8年前、俺は28歳になったばかりだった。 「新しい波8」。通称「なみはち」。お笑いは8年周期でスターが生まれるというコンセプトの下、第二の「めちゃイケ」メンバーを誕生させるべくフジテレビが作り上げる深夜コント番組だった。 遡ること8年前、1992年。フジテレビの深夜に同じスタイルで放送された「新しい波」。そこで精鋭され、そこからユニットを組んだのがナインティナインさん、よゐこさん、極楽とんぼさん、オアシズさんら。 (後で聞いた話だが石原さんが組んでおられたインパクトさん

    deadman
    deadman 2008/06/27
    必読
  • 1