2015年3月12日のブックマーク (2件)

  • ニーメラーさんのいるところ。

    この数年、何度となくWebでニーメラーの警句を見かけた。それの多くは表現規制問題の主張の中であったけれど、それだけでなく様々な政治や社会に対する思惑の下に引用されているのを多く見かけた。 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった 今や私にとってある種の傷すら伴ったこれは、それでも大変に印象的で引用したくなる魅力を備えている。この文章自身が鮮烈な物語であるからだ。 最後の一文で「誰一人残っていなかった」と締めくくられる物語としての鮮やかさ(そう、「鮮やか」さである)たるや。 ニー

    ニーメラーさんのいるところ。
    death_yasude
    death_yasude 2015/03/12
    扇動しようって思惑が透けてて嫌になるんよ、こんな詩一つで人を動かそうって馬鹿にしてるん?
  • 高学歴の方が優しいみたいな傾向 - やしお

    しばらく前にツイッターで「かしこい学校は冷たくてヤンキーの学校は頭は悪いけど心は優しい、みたいなイメージは実際には逆」というような話を読んで、ちょっとわかる気がした。 会社の同じ部の中で、高卒、高専卒、大卒(学部卒)、院卒(修士卒)が入り混じってる(製造系の部署なので博士はいない)。付き合っていく中で、後者になるにつれて、他人に対する想像力が強い傾向にあるような印象がある。他人を批判するときも(もし自分が相手の立場だったらやっぱり難しいかもしれないな)という想像力で抑制されているような感じ。陰口にならないように、客観的な批判であり得るように心がけているように見える。 自分が学生だったころ、10代だったころを思い出すと、教師のことを陰で簡単にバカにしていた。それと同じような印象を、高卒・高専卒の20代の同僚たちの陰口から受けることが多い。自分はより分かっている/相手はより分かっていない、とい

    高学歴の方が優しいみたいな傾向 - やしお
    death_yasude
    death_yasude 2015/03/12
    知能とモラルは「相関」がある、俺の経験からいってもこれはマジ