ブックマーク / www.kouhei-s.com (3)

  • 無機質な言葉 書くコトでしか表現できない魅力ある文体  - こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

    読みにくさの魅力 明治期の近代以降、とくに戦後の現代において、欧文脈というものが日語の文章に大きく影響を与えることになります。 欧文脈とは、つまり「翻訳調」と言い換えていいと思いますが、それは、あたかも英語などの欧文を翻訳したかのように感じられる文体のことです。 あくまで翻訳っぽく見える文体ですので、背後に当の欧文がある直訳体ではありません。 その特徴は、文の組み立てや語彙の選択、およびその背後にある発想にあるんですね。 たとえば、翻訳調のわかりやすい例が無生物主語や連体修飾節が多用され表現されている文に多く見ることができます。 それは決して読みやすいわけではないのですが、意味をとろうと強く意識して読むことによって、文意がツルリと逃げていくことなく、鮮やかに印象を残していくのです。 読み応えというか、引っ掛かるような感覚でもって読み手の脳裏に強い印象を刻んでいくんですね。 翻訳調の文が

    無機質な言葉 書くコトでしか表現できない魅力ある文体  - こうへいブログ 京都案内と文章研究について  
    deechiyan
    deechiyan 2024/05/17
    いつもありがとうございます。
  • 時代の覇者となった平清盛 武士が表舞台に登場した背景 - こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

    六波羅 俳優の仲代達矢が大河ドラマで平清盛を演じることが決まったとき、訪れたのは、京都・松原にある名刹・六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)でした。 役作りのために、境内に安置されている清盛の木像を仲代は一身に見つめていたのです。 平安時代後期、この六波羅蜜寺を中心とする周辺一帯には平家一門の屋敷が立ち並んでいました。 清盛像を含め、そんな六波羅エリアの空気感みたいなものを感じ取ろうと、その名優は何度も通い詰めたといいます。 端座して経巻を読んでいるその清盛像の表情は、慈悲深いようにも見え、一方で、底なしの恐ろしさを秘めているようにも見えるんですね。 そうして完成された仲代演じる清盛は、悪の非道を極めた血も涙もない、武家の棟梁となって画面に登場したのです。 平家にあらずんば人にあらず 仁安2(1167)年、公家たちが世の中を支配していた時代に、武家という身分でありながら太政大臣・従一位にまで平清盛

    時代の覇者となった平清盛 武士が表舞台に登場した背景 - こうへいブログ 京都案内と文章研究について  
    deechiyan
    deechiyan 2023/02/06
    いつもご訪問ありがとうございます。
  • 神護寺  国宝 源頼朝 平重盛の肖像画はなぜこの寺に残されたのか - こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

    木々に囲まれた山域に清滝川が流れる、京都市の西北部にある高雄山(たかおさん)。 その渓谷から、乱れ積みの長い階段を登り切ったところに建つのが古刹・神護寺です。 平安京が出現する少し前の天応元(781)年に、高雄山寺として創立された古い歴史を持ちます。 大同4(809)年から14年の間、空海が住居もかねて高雄山寺を真言宗の拠としたのですが、その後、天長元(824)年には河内の神願寺が合併されることで神護寺として改められ、尊・薬師如来像が金堂に祀られることになります。 三幅の肖像画 尊を含め、国宝の宝庫といわれる神護寺の作品群のなかでも最も著名なのが、鎌倉時代初期に描かれたという三幅の肖像画です。 それは、源頼朝、平重盛、藤原光能の3人をモデルとして、藤原隆信が見事な写実で描いた肖像画なんですね。 では、歴史的遺産となるこの肖像画が、京都の山奥に佇む神護寺になぜ残されたのでしょうか。 し

    神護寺  国宝 源頼朝 平重盛の肖像画はなぜこの寺に残されたのか - こうへいブログ 京都案内と文章研究について  
    deechiyan
    deechiyan 2022/02/02
    こんばんは、ライダーマンです。こちらの方にもご訪問頂き、ありがとうございました。当方は古美術店の商品紹介ブログですがどうぞよろしくお願いいたします。
  • 1