広島で被爆し、治療のため渡米した「原爆乙女」の一人、山岡ミチコ(やまおか・みちこ)さんが2日、肺炎のため、広島市内の療養施設で亡くなった。82歳だった。 告別式は4日正午、広島市南区大州5の3の22平安祭典広島東会館。喪主は義妹のナリ子さん。 15歳の時に爆心地から800メートルの路上で被爆。顔や腕にやけどを負い、米国ジャーナリストの呼びかけで1955年、ほかの24人の女性とともにニューヨーク市の病院で治療を受け、「ヒロシマ・ガールズ」と呼ばれた。 79年から被爆体験の証言を始め、米国やカナダ、フランスなど海外でも原爆の悲惨さを訴えた。
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