ブックマーク / girlphrase.blogspot.com (4)

  • 2011 秋

    interview with... おまえにインタヴューするためのメモ。 「終わりがやってきてしまう」という事が前提にあるという意味において考えるとき、モーニング娘。としての新曲「Only You」もまた、さきほど出演なされた「ハムレット劇」におけるオフィーリアの死のダンス同様に、一種の終わり、「卒業」が待ち受けている状況や状態での新曲となる訳ですが、ここで「卒業」と「死」の細かい相違を定める時間はないので大ざっぱに「一種の終わりをこれから向かえる寸前の女」としてオフィーリアと貴女を語る事をお許し頂きたいのですが。。。。。。 私が新曲「Only You」の貴女を見て感じた事は、終わりを受け入れた状態の者がその終わりを覚悟し受け入れ微笑む絶対的な勇姿などではなく、最早、終わる事やはじまる事、生や死、それらを思考する領域からは遠く離れた意識のなかであなたの肉体や歌声がただ、今そこで踊り歌う事の

    degmzongo
    degmzongo 2011/06/20
  • アンコール

    そんなに優しくなびく髪だったの? 今回のツアーコンサートが際限なく娘。たちの内部から溢れ出てしまう愛情の蜜の氾濫と卒業の哀しみの洪水のその終わりのなかに溶けていってしまいそうで、コンサート中にずっとずっと俺は酷く酷く心の鼓動のさせかたがわからなくなるんだ、俺の魂の居場所がついに無くなる、踊る娘。たちのダンスのなかに、その歌声のなかに愛情だけがずっと濃度をましてゆく、卒業への輪郭が娘。たちを蝕んでゆくように、どんな感情の勧誘も阻止制圧してきた絶対領域の曲のなかにさえこの季節の終わりが侵入してきていた、そんなに優しくなびく髪だったの? 新曲がフラゲされたな、おまえも買ったろ?、見たろ?、そうだよ、おまえの更新だ、俺を奮い立たせるのはその更新だった。 なんなんだこれは、どうなってるんだこの曲の娘。たちは、おまえが言うように、俺もただただ戦慄したよ、なあ、同志よ、今の娘。を終わらせるならもっと簡単

    degmzongo
    degmzongo 2010/11/19
  • ぼくたちの夏よ、さようなら

    さゆえりふぉんれいな 「ぼくたちの夏よ、さようなら」 この夏の光の尾が冬に掻き消されてしまうその寸前の最後の最後のその瞬間まで、夏のなかに居た娘。は絵里ちゃんだった。 6期がまるで卒業旅行のように、仕事ではあるにも関わらずどこまでも幸福そうに沖縄に撮影しに行ったその姿を俺たちはさゆのブログ更新でれいなちゃんのブログ更新で知ることができた。 そして、さゆとれいなちゃんは絵里ちゃんよりも先に東京に帰った、娘。首都に、娘。たちの街に。 さゆは言った、沖縄に残った絵里に何度もメールを送ったけど返事がないのだと。 マネージャーから送られた絵里ちゃんの写真をさゆはブログに載せる、うれしそうに、うれしそうに。 れいなちゃんは塩味のチョコレートを絵里にもらったって、うれしそうに、うれしそうに。 沖縄にひとり残った絵里ちゃんが撮影を終え、東京に帰るその時の姿をマネージャーさんが深夜にアップしたようだ。 俺は

    ぼくたちの夏よ、さようなら
    degmzongo
    degmzongo 2010/10/01
  • 2011 秋

    愛の季節の余命を宣告されていて、今はまだ永遠にそのかわいい姿を見れるのだとしか思えないのに、時限別れが実装されてしまえば、あの子たちははなればなれになる、それだけが決定的に君臨する事実である夜にどうして、どうやってその事実と闘えばいい、別れる時のために思い出をつくりましょうだなんて、自由にならない季節に不機嫌になった身体の火照りが、ファッショナブルの打ち上げで君の足許をあんなにも間近で見てしまった時、君の足の指は上げ底の暴力によってあんなにもつま先立ちで、立っている君の重さが指の血を止めて、君の足指はずっと白くふて腐れていた、足の指の爪は赤色だった、君の足の指に赤を見つけた時にどれだけ僕が歓喜した事か、あの、指の、君のかわいい指の、その指先から赤が剥奪されたのは君の意思なの、もしも乙女の聖地でもある手の指の爪というその場所の地上の色を君の意思以外の何者かによってあんなに大人しい色に塗り替え

    degmzongo
    degmzongo 2010/08/27
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