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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (5)

  • 怒りたい人が怒れる環境と出会えばそりゃ怒るだろう - 諏訪耕平の研究メモ

    相も変わらず「怒る」ことについて書いていこうと思いますが。 たとえばtwitterとか2ちゃんの匿名でのヘイトスピーチとかニコニコ動画の罵詈雑言とか,相変わらずネット上には日常あまり触れることのない,あまり上品でない発言が頻見されます。 なぜtwitterで匿名で口汚く相手を罵るのかとか,2ちゃんの人らはなんであんなに文句ばっか言うんだろうとか,ニコニコ動画で投稿者の悪口ばっかり書く連中はだったら見なきゃいいのにみたいな意見が散見されますが,これは僕の最近の仮説でいけば簡単な話で,「みんな文句言いたいから言っている」ということですよね。下位項目も色々あるでしょうけど,僕は最上位項目はこれだと思っています。 なので,twitterの人らは有名人に直接文句言ってみたいわけだし,2ちゃんの人らは普段言えないようなことを言えるというところに2ちゃんの意義を見出しているわけだし,その理屈でいくとニコ

    怒りたい人が怒れる環境と出会えばそりゃ怒るだろう - 諏訪耕平の研究メモ
    dekaino
    dekaino 2011/10/25
    文句を言う人だけ目立つというのもある
  • 思考停止という概念について今思っていること - 諏訪耕平の研究メモ

    池田信夫 blog : 捨てる勇気 - ライブドアブログ Togetter - 「星アカリ( @akariakarin123 )「東京電力社員の子供を、全員がボイコットしなさい」」 僕はこのブログでたびたび「思考停止」という概念について言及してきた。あまり反応は得られなかったが,今やこの概念は僕の思考の中核を占めつつある。僕はなぜこの概念にこだわるのか。なぜかこの機会にちょっと書いてみようと思った。 大人は子どもを「ものを知らない」と馬鹿にする。有名大学に合格した人間はFラン大学に通う人間を馬鹿にする。経済学に精通する人間は,精通していないように見える政治家を馬鹿にする。 ここで「馬鹿」はどんな意味でつかわれているのか。それは「知識」だと思う。この国は多分「知識」を重視してきて,多くの知識を持つ人間を尊重してきた。知識を持つとはどういうことか。それは,多くの知識を暗記しているということ。簡

    思考停止という概念について今思っていること - 諏訪耕平の研究メモ
    dekaino
    dekaino 2011/04/08
    温故知新の温故をないがしろにすることも思考停止の一種です。過去の知識を無視して未来だけ思い浮かべても愚考にしかならぬもの。
  • 大学に関する神話はそろそろ本気で検証したほうがいい - 諏訪耕平の研究メモ

    の小中高ってのはトコロテン式で、学んだことが身に付こうが身に付くまいが次の段階に押し出されるシステムだ。学習内容は積み上げ式だから、当然「落ちこぼれ」が発生する。ある段階で何らかの理由によりつまづいたら、よっぽど幸運にすばらしい教師に巡り合う場合を除いて、その後ずっと落ちこぼれ続ける。積み上がらない。 この方に同意。ここでの議論をややこしくしているのは2点。1,大学は研究機関であるという神話。2,自己責任論。1,この手の話をしていると必ず「大学は自分で勉強するところであって勉強を教えてもらうところじゃない」とか,「大学は研究機関で,教育機関ではない」とか言い出す人がいる。それは神話。大学は自分から勉強するところでもあり,教えてもらうところでもある。また,研究機関でもあり,教育機関でもある。先生がいて生徒がいるのだから,ほっといても大丈夫な生徒はほっといて,ほっとけない生徒は構ってやれば

    大学に関する神話はそろそろ本気で検証したほうがいい - 諏訪耕平の研究メモ
    dekaino
    dekaino 2011/02/21
    現実を見ようよと言うなら正直に「こういうことしないとアカポスの数が維持できない」とぶっちゃければ説得力出るよ。ガイナックスやサテライトのアニメが好きなら必要悪としてパチスロ業界認めるしかないのと似てる
  • 学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない - 諏訪耕平の研究メモ

    2〜3日前の読売新聞に静岡産業大学学長の大坪壇先生のコラムが掲載されていました。これが思わず拍手したくなるような内容だったので掲載しておきます。全文掲載はまずいのかなとも思うのですが,これは是非読んでいただきたい内容なので踏み切りました。問題があれば削除いたします。 内容は,「学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない」というもの。そう言われれば多くの人が「そりゃそうだ」と思うんでしょうけど,実際は多くの大学教員が教育よりも研究に時間を割いているというのが現実ですよね。 なんでこういうことになるのかというのを居場所論で考えてみると,要するに大学教授というのはいかに教育を行ったかではなく,いかに研究業績を出したかが大学での居場所につながるのだろうと思うのです。その状況ではある程度仕方がない。教育者が,その教育内容でもって評価されるようなシステムの構築が必要なんでしょうね。

    学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない - 諏訪耕平の研究メモ
    dekaino
    dekaino 2009/08/10
  • 「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    「ゼミを何とか改善したい」みたいなことをここのところ結構主張してきて、それはそれなりに賛同を得られるようになってきていた。どの集団にもいいところと悪いところがあるだろうと思う。うちのゼミは、活発な議論が行われるところや、上から研究テーマを強制されることはないといったところは長所だと思うが、できの良くない発表をしてしまうと参加者(主に教授や先輩)から袋叩きにあうことがあって、それが原因でゼミと距離を置く学生が毎年数名出るといったところは短所だと思って、改善を志してきた。 勿論研究を目的に集まっている集団なので、研究ができない人間の居心地が悪いのは仕方ないことだと思うけど、一応教育機関なので、「駄目なやつは切り捨て」みたいなことが許されるのかどうかについては議論があっていいと思う。できないからこそできるようになりたくて院の門を叩くという場合もあるだろうし。最初からできる人間を欲しがるのは研究所

    「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ
    dekaino
    dekaino 2009/06/18
    社会とか苦労とか関係なく、結果の出来ばえだけ評価すればいい。義務教育ではないんだからプロセスについて助言できても強制はできない。ましてやプロセス面を評価するのはおかしい。 マッチョ思想過ぎるか?
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