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ブックマーク / loderun.blog.ss-blog.jp (8)

  • 「ファミコンは自信なかった」――ファミコンの生みの親・上村雅之氏が語った"遊びの原点": Runner's High!

    (インタビュアーより、ファミコン開発当時に考えていたことを問われて) 上村――正直いって自信は全くありませんでした。そのときの僕のノートには、はっきりと「これは売れない機械や」と書いてあるぐらいですから。当時は『ゲーム&ウォッチ』が隆盛を極めていましたので、その持ち運べるという長所ばかりが目立って欠点は見えてこない。だからテレビゲームのほうは意外と欠点が目立って長所が見えてこない……というふうにウルトラ弱気な感じでね、着手していたと思いますね(笑)。 (中略)たとえば、遊びというもののなかには、ひじょうに複雑な要素が含まれていますが、かっこよく技を決めたりしたときには「見て見て、こんなの!」といって、ともだちに見せたりするときにはテレビというのは向いていると思うんですね。ただし、もう一方では自分の気の向くままにちょっと時間をつぶしたいとか、純粋にゲームを楽しむという要素もある。たとえば、そ

    「ファミコンは自信なかった」――ファミコンの生みの親・上村雅之氏が語った"遊びの原点": Runner's High!
  • 『上海』への道 ――― 傑作パズルゲームを生んだ車椅子の開発者: Runner's High!

    ここアジア・太平洋地域で、アクティビジョンは幾度となく『上海』のライセンスを許諾しているけれど、誰一人としてこのゲームをデザインしたのが西洋人であることを信じないんだ。 スタンフォード大学の学生であったブローディー・ロッカードは、トランポリン運動中の不慮の事故により首の骨を折るという大怪我を負います。辛うじて一命は取り留めたものの、その後遺症は深刻でした。 頸椎損傷四肢麻痺 ――― ブローディーは首から下の自由を失い、残りの人生を車椅子と共に過ごすことを余儀なくされたのです。 退院の後もスタンフォードで学生を続けるブローディーは、コンピュータを用いた教育プロジェクトに関心を抱きます。 当時のアメリカ教育機関には、PLATOと呼ばれるシステムが広く普及していました。PLATOは元々1960年にイリノイ大学で考案されたものです。その最大の特徴は、オンライン機能を実装した点にあります。 電子メ

    『上海』への道 ――― 傑作パズルゲームを生んだ車椅子の開発者: Runner's High!
    dekubar
    dekubar 2009/02/22
  • 12月8日は「アタリショックの日」: Runner's High!

    ATARIといえば、テレビゲームの黎明期に「PONG(ポン)」や「BreakOut(ブロック崩し)」を発表し、成功を収めたことで知られるメーカーだ。家庭用ゲーム機を発表したのもいち早く、'77年に発売した「ATARI2600」は世界的なヒットとなった。しかし、ヒットのあまりソフトを粗製濫造し、一夜にしてブームは収束。このビジネスの不手際さは、任天堂がファミリーコンピュータを発売する際に反面教師として活用されたことでも有名だ。 ○アタリの名作ゲームを10まとめて遊べるアイテム! 「ATARI 10in1 テレビゲームズ」 (from GAME Watch) (反論) 1982年12月8日、東部標準時間午後3時4分―――ワーナー・コミュニケーションズはクリスマス商戦の不振を理由に、当時子会社であったアタリの第4四半期の利益が前年対比で10~15%程度の増加に留まると発表。家庭用ビデオゲーム

    12月8日は「アタリショックの日」: Runner's High!
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    dekubar 2008/12/09
  • アタリの歴史にまた1ページ!: Runner's High!

    ○http://www.atarijapan.com/ さすがアタリ! 「コインいっこいれる」、「残虐行為手当」、「インスタント リープレー」の伝統は今も尚、息づいています! ・・・いや、いくらなんでもワザとだよなぁ、これ? でも、WEBサイトのタイトル名が「Untitled Document」になってるし、もしかして気でやってるんじゃないかと不安になります(笑)

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    dekubar 2008/09/11
    すぐに来る!
  • ファミコンが存在しなかったかもしれないゲーム史: Runner's High!

    私はレオナルド・グリーンバーグ会長とともに日へ行き、任天堂の山内社長の元を訪れた。当時、我がコレコ社と任天堂はいくつかの製品を共同で開発していたからだ。 彼らはコレコビジョンに興味を持ち、原価に10パーセント上乗せした金額で買い取りたいと申し出た。しかし会長のレオナルドは、小売価格から10パーセント差し引いた金額での取引を望んでいた。 結局交渉はご破算となり、山内はこう言った。「任天堂は、自分たちでゲーム機を開発しますよ」、と。 レオナルドは大笑いして、彼らにそんなことは絶対できるわけがないと思ったそうだ。 ――― コレコ社の技術・製造部長を務めたバート・ライナーの回想 任天堂が1983年7月15日に発売した家庭用ゲーム機のファミリーコンピュータについては、今さら説明するまでもないほど世界中の多くの人に親しまれています。 しかし「ファミコン以前」の81~82年頃に、任天堂がアメリカのコレ

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  • PS2『大奥記』、ファミ通のクロスレビューで合計13点の歴史的快挙!: Runner's High!

    (08/6/5) 『大奥記』の感想を追加しました。 ○PS2『大奥記』、ファーストインプレッション 評価:3点 題材として『大奥』を持ってきたところは目のつけどころがいいのだが、ほとんどの時間をただ歩き回って情報を得るだけ、というゲーム性は、単調すぎるのでは。題材のよさを活かしきれていない印象です。ステージ最後の申し開き部分もちょっと単調すぎる。もうひと工夫あればなぁ。 評価:3点 初代プレイステーションのゲームかと思えるほど、見た目がイマイチ。また、マップに自分の位置が表示されなかったり、一度開いたヒントを再確認する手段がないなど、不親切な面も多い。部屋に入るたびにディスクを読む、ロード時間の多さにイライラ。題材は悪くないんだけどね。 評価:4点 テーマや物語の展開は、独特でおもしろい。ライバルとの戦いも、ちょっと緊張感があっていいね。時間帯によって人の配置が異なるので情報を聞き回りたい

    PS2『大奥記』、ファミ通のクロスレビューで合計13点の歴史的快挙!: Runner's High!
    dekubar
    dekubar 2008/05/30
    ついに出るかと思ったらこれかよ!購入レポも期待してます
  • 重要なお知らせ: Runner's High!

    dekubar
    dekubar 2008/02/12
    これは心配(リンク先読んで余計に)、手術が無事に成功することをお祈りしています
  • 【珍訳】 北米版ファイナルファンタジー4で最も有名なセリフは?: Runner's High!

    spoony [形] 1. ばかな、愚かな 2. 女に甘い、でれでれした 北米でリリースされたOld Final Fantasyの中で、最も有名なセリフと言えるのがFF4で見ることのできる、この"You spoony bard!"です。海外のFFファンのみならず、古参ゲーマーの間でも「おかしな日英語」として語り草になっています。 いったい、この表現の何が問題なのでしょうか?以下、僕の理解した範囲で説明してみようと思います。 北米のNES(ファミコン)、SNES(スーファミ)において、ファイナルファンタジー・シリーズは合計3作品が発売されました。まずNESでFF1が、次いでSNESでFF4、FF6と続きます。*注1 今でこそ海外でも人気のあるFFシリーズですが、これらの旧作品群に関しては長らくカルトゲームと見なされてきました。もちろん、ゲームデザインに対する日米の嗜好の違いも理由の一つで

    【珍訳】 北米版ファイナルファンタジー4で最も有名なセリフは?: Runner's High!
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