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能力と人生に関するdelayedresolveのブックマーク (6)

  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:ものさし

    人はものさしを持っています。人の価値を計る為のものさしです。 人はものさしを持って生まれてくる訳ではありません。人生のいろいろな経験で、人を判断する方法としてものさしを使う事を学んでいきます。頭がいいと先生は褒めます。頑張って立派になれば尊敬される、と両親は言います。なるほど、頭がいい、立派というのはいい事なのか。そういう事を体験から学びものさしを作っていきます。 ものさしで人の能力を評価する事は社会を営む上で必要な事です。ものさしがあるから自分が何処に向いているかがわかり、適材適所がわかります。ですがものさしに捉われた人はものさしで能力を判断するだけではなく、人格自体も判断します。そしてそういう人が多い場所で育った子供もまた、ものさしで人を判断するようになります。 ものさしに捉われた人は、頭の良さがものさしだとすると、態度はどうあれ自分より頭の悪い人を馬鹿にします。そして同時に自分より頭

  • 努力についてながながと、再確認ならびに整理 - 楡男

    んーと、どっかで書いておかないとこの先ずうっと引きずると思われるので、ここで一つはっきりまとめておこう。前から似たようなことには繰り返し触れてきたけど、はっきり、ど真ん中を述べないとだめだな。ちなみに、その「似たようなこと」は: http://d.hatena.ne.jp/misunderstanding/20090404/1238841391 http://d.hatena.ne.jp/misunderstanding/20090420/1240235467 このへんに書いてあります。でも、これらの記事は「当に言いたいこと」の周囲をぐるぐるまわるばかりで、遠心力でヘンなとこ飛んでっちゃって、結果的にまったく違うことを言ってます。 それで、題。ひとくちで言えば、僕は「努力する才能」というのは断然あると思ってます。いや、思ってる派です。というのは、根拠はないので。だが、「ある」という思い

    努力についてながながと、再確認ならびに整理 - 楡男
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/29
    『下の人は上のことをわからずにとやかく言うかもしれないけど、上の人にとっても、そこにいた経験すらないような下の世界がある/努力するには偶然的条件(それは人間形成にかかわる)がかなり重要である』
  • ほめられようとも、このいきぐるしさ - 関内関外日記

    kakula.jp たいしたことないだろうと思った。他愛ないあそびなのだ。ジョークだ。でも、ひょっとしたら、なんかにやにやしてしまうかもな。そんな風におもって、ちょっと期待して、クリックして、はじまった、絶賛のあらし。 俺は、ほとんどもう、絶望的に、耐えられなかった。これはなんなのだ。とても気持ちわるい。拷問だ、よくできた拷問だ。そんな俺をくるしめるな、この、このジョークめ、いや、ジョークなんかじゃないぞ。ああ、これはひどい、おそろしい。 はてなブックマーク - kakula.jp ブックマークを見ると、反応が二分しているようだ。まあ、二分といっても、「なんにもしていないのに、ほめられたっておもしろくないさ」という人もいるだろう。肯定的におもっているひともさまざまだろう。でも、ともかく、俺は、なんというか、これに耐えられない。 自己評価の“格差社会” - シロクマの屑籠 そういえば、ちょっ

    ほめられようとも、このいきぐるしさ - 関内関外日記
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/22
    もっと下のレベルでも似たようなことはあって…まあいろいろ悲しかったりする。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    祖母の白寿のお祝い 先日、満99歳(数えで100歳)になった祖母の白寿のお祝いをやった。 さすがに身体のあちこちに不具合が出てきており、そろそろ格的に外出も難しくなってきたので祖母と一緒に家族で集まれるのはたぶんこれが最後だろう。 下は0歳から上は99歳までいるので、移動と諸々…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/10
    『「才能」というものはそんな生易しいものではない。それは制御することの難しい猛獣だ。』
  • 知らない方が幸せなこともある - BADEND IS BEAUTIFUL

    年収や容姿に自信のない人にとって、それらに関して自分より優れた人間の日常を覗き見るのはダメージが大きい、ということがある。向上心が持てなかったり、年齢的あるいは先天的に劣等感の克服が難しい場合は、意図的にそういった情報から遠ざかった方がいい。 逆に、向上心が持てそうだったり努力が持続できそうな分野の場合、実生活でもネットでもどんどんレベルの高い人に会ったり見たり読んだりしよう。才能の差を見せつけられれば見せつけられるほどめらめら燃えることってあるでしょう。 昔は映像作品を作っていたが才能が無かった。ある日を境に、テレビすら見られなくなった。出てくる映像からにじみ出てる才能に打ちのめされた。自分でも作れそうなレベルのものですら、もう発狂しそうになった。映画は微妙に分野が違うしスケールがでかすぎて嫉妬すらできないのでちょくちょく観るけども。 と、ここまで書いてて思い付いたんだけど、自分のクソさ

    知らない方が幸せなこともある - BADEND IS BEAUTIFUL
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/06
    『向上心が持てなかったり、年齢的あるいは先天的に劣等感の克服が難しい場合は、意図的にそういった情報から遠ざかった方がいい。』
  • 判断の領域 | ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    じつは知識とか技術っていうのは、あまり重要ではないのではないかと思うようになってきました。いや、違うな。もともと、あまり重要なこととして考えてこなかったような気がします。というか、知識なんてものは、その気になれば吸収できるし、技術っていうのも、たとえばコピーライティングについても、四六時中コピーばかり書いていたら、それなりに身に付くものだと思います。 では、知識があって技術があれば、それできちんとした仕事ができるかといえば、そうではないような気がします。その知識なり技術を運用するとき、そこに判断がからむからです。 経営という分野で考えるとわかりやすいかもしれません。経営についての知見が豊富で、多くの成功事例を知っていて、類例が出た際に事例同様に実行する力を持っていたとしても、その人がきちんとした経営ができるとは限りません。なぜなら、経営は、そのときどきの判断の連続だから。経営判断とよく言わ

    判断の領域 | ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/02
    『自分の判断の領域が新しい知識や技術を求めなくなったとき、その判断の領域はそこで終わり』<でもしばらくすると少し判断の領域が広がっていたりして、そのときにはまた新しい知識や技術を求めるのかも。
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