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2007年11月9日のブックマーク (2件)

  • 自己卑下をする人間を信用するな:こころの肥溜め:So-net blog

    劣等感が強い人間は、 肯定的な自己評価を持つ人間を潜在的に許せない。 自己評価が高い人間を見つけると、 必死であら探しをして、鼻をへし折ろうとする。 劣等感が強い親は、子供が自分自身を肯定するのを許せない。 そこで、子供のためと称して、あら探しをする。 子供が完全にしょげてしまうと優しくなるのだが、 子供が自信を回復すると、あら探しを再開する。 こういう環境で育った子供は、 自信を持つのは悪いことだとすり込まれる。 自分のやることには何一つ自信が持てないくせに、 絶対的な自信を持って、他人のあら探しをする。 こうして、劣等感は世代を超えて伝播していく。 劣等感が強い人間は、自己卑下が大好きだ。 それは、自己卑下をしないとシメられる環境で育ったことを意味する。 劣等感が強い人間は、自分のことを控えめな人間だと信じて疑わない。 しかし、その正体は他人にも自己否定を強要す

    delayedresolve
    delayedresolve 2007/11/09
    『劣等感が強い人間は、自分のことを控えめな人間だと信じて疑わない。しかし、その正体は他人にも自己否定を強要する暴君なのだ。』
  • 沈黙というメッセージは届かない: 不倒城

    ちょっとひとり語りをする。 昨日のエントリーを書いてから、また別の幾つかのエントリーを読んで、色々考えた。 十年来の知人がいる。まあ、「親友」というラベルをぺたりと貼っても、凄く嫌そうな顔をしつつもまあ勘弁はしてくれるかな、という感じの仲である。 私と彼は、多分割と相談事を持ち込まれる、あるいは愚痴を聞かされる方だと思う。 「彼の自己評価」と、「私の彼に対する評価」が一致しているかどうかは分からない。というか、まあ、おそらく違っているだろう。ただ、私自身は、彼と私の相談事の聞き方は結構違っている様な気がしている。私に愚痴を聞かせる人と、彼に相談ごとをする人は、求めているものが大分異なっている様な、そんな気がしている。 昨日のエントリーでも書いたが、「つらそうな人」の言葉を聞く時、私は何も言わない、というか何も言えないことが多い。言ったとしても、一見関係がなさそうで実はありそうで、でもよく考

    delayedresolve
    delayedresolve 2007/11/09
    『「つらそうな人の言葉を聞いて、それに被せて自分の話をすること」があんまり好きではない。そして、自分の話をして相手を励ました気になっている人も、同じくあんまり好きではない。』