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2009年7月5日のブックマーク (3件)

  • あらかじめ「ゆるさ」をつくっておく - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    「ゆるさ」の考察についての素材として、身近なブログを取り上げてみたいと思います。私自身は、ブログをやるのもやらないのも自由だし、やるならやるで、その人が好きなようにやればいいんじゃないかな、せっかくの個人が持てるメディアなんだしさ、という感じなので、この文章は、ブログ論ではなく「ゆるさ」を考えるうえでのひとつのきっかけくらいな感じでお読みいただければ幸いです。 *    *    *    * たとえばだけど、とあるブログがあって、ひとつは練りに練られた完璧なエントリが月に1回更新されるブログ、もうひとつは、そこそこのクオリティをキープしながら毎日更新されるブログ。どちらのブログが人気が出るか。たぶん、後者でしょう。きっとそれは、いろいろなブログのPVを時系列で調べれば、実証可能だと思います。 もちろん、人気というものをPVで計るというのは、あるひとつの尺度にすぎないし、練りに練られた完璧

    あらかじめ「ゆるさ」をつくっておく - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/07/05
    『ときには、なんかよくわからないな、とか、今日は疲れてるんだろうな、とか、そんな不完全燃焼なエントリも書かれます…でも、そうしたエントリの「ゆるさ」が、その人の人柄みたいなものを作り上げて…』
  • 希有な人 - 東京永久観光

    ★自死という生き方/須原一秀 asin:4575299987 老いや病のなかで受動的に死ぬのではなく、健やかなうちに能動的に死ぬべきだ。著者はそう考え、そのとおり自らの命を絶った。その思索と実践の記録がこの一冊。 なにか強引な理屈や激しい感情の文言が迫ってくるのかというと、その予測は完全に裏切られる。恨みや怒りを持てあましたとか、憂や孤独に耐えきれなかったとか、そうした理由でもない。まったく逆。人生を味わい尽くしたという冷静な納得こそが、死への踏み台になっている。不思議なことだが、この点が最も際だっている。 ソクラテス、三島由紀夫、伊丹十三の名を先人として挙げている。著者と同様の熟慮によって自死したにちがいないと分析しているのだ。ここで印象的なのは伊丹十三の弁。 「私は、ですね、一と言でいうなら「幸福な男」なんです。然り。私は幸福である」。そして正月に近所のみかん畑を見ながら家族で歩いて

    希有な人 - 東京永久観光
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