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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (6)

  • 2008-04-27 - 空中キャンプ|[映画]「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を見たゼ!

  • 『『罪と罰』ノート』/亀山郁夫 - 空中キャンプ

    ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』の新訳等でおなじみ亀山先生が、『罪と罰』をたんねんに研究した一冊(平凡社新書)。ドストエフスキー人の半生も含めて、『罪と罰』というテキストをわかりやすく読解していく、たいへん充実した一冊でした。さすがに『罪と罰』未読の方にはすすめられませんが、読みやすい新訳もでていることですし(亀山訳はまだ完結していないのですが)、おもいきって挑戦してみてもよいのではないでしょうか。 読んでいておどろくのは、ドストエフスキー人のあまりにろくでもない人生である。作家としてはとてつもない才能があるとおもうけれど、ひとりの人間として見たとき、彼はちょっとがっかりするくらいにだめなおっさんである。この人はいったい、どうしたあれだろう。こので紹介される、ドストエフスキーの数多くのだめエピソードを読みながら、「ああ、これはほんとうにだめだ」とわたしはため息をついて

  • 変なおじさんだから - 空中キャンプ

    あらためて、志村けんのコント「変なおじさん」を見てみると、それはずいぶんふしぎな展開のしかたをすることに気がつく。なにしろ前ふりが長いし、そのわりにはオチがあっさりしすぎている。たとえば、4分30秒のコントのうち、変なおじさんがせりふをいったり、踊ったりする時間は、15秒ていどしかない。その奇妙なバランスが解せないのだ。 くわえて、そのせりふや踊りというのも、何年ものあいだいっさい変えられていない。変なおじさんは、与えられたほんの15秒ていどのあいだに、毎回まったく同じせりふをいって、同じ踊りをする。変なおじさんは、自らの言葉で独立した思想を語ることを禁じられた、なんらかの象徴、アイコンのような存在だ。なぜ志村けんはここまでがまんできるのだろうとわたしはおもう。たいていの場合われわれは、言葉によってストーリーを前進させる欲求、キャラクターが物語を牽引する快楽に抗えない。変なおじさんになにか

    delayedresolve
    delayedresolve 2009/06/11
    『変なおじさんになにかを語らせたいという欲求に、ほとんどの人は負けてしまうはずだ…しかし、そうした欲望はどこまでも抑制されなくてはいけない、というのが志村けん…』<これ大事というか基本のような気もする
  • ひとつめの杭 - 空中キャンプ

    音楽家のヤン富田氏は著書のなかで、かつて試したある作曲法について書いている。まずはレコード屋さんへいき、もっともかっこいいジャケットデザインのレコードを買ってくる。しかし、レコードを聴いてはならない。ジャケットを眺めながら「このレコードに収録されているのはいったいどういう音楽か」を想像し、作曲をするのだ。 この手法はさまざまなジャンルに応用できそうな気がする。たとえば洋服のデザインをする人が、ある特定の人物をおもい浮かべながら「あの人に着せたらすごく似合うであろう服」を製作をする、といったしかたである。想像力を喚起するなにかをまずはひとつ設定しておき、方向性を絞ったうえで製作にとりかかる。 おもうに、表現ではスタート地点においては360度どこへでも向かうことができるから、逆に一歩目を踏みだすのがむずかしいようにおもうのである。表現という行為はあまりに自由すぎるために、なにかしらのとっかかり

    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/14
    表現について『仮にひとつめの杭を打ち込むことができれば、そこから道筋がつけられる/その杭はあらゆるところに散在しているのであり、それらをどう活用するかは、われわれがどこに視点を置くかにかかっている』
  • ふつうはむずかしい - 空中キャンプ

    メジャーリーガー田口壮のインタビューでおもしろかったのは、打撃を我慢だと話していることだった。どんな投手がきても、どんな場面であっても、自分が練習してきたことや、自分の狙い、バッティングのスタイルを崩さずに打つ。田口はそれを「ふつうに打っていく、我慢して打っていく」と説明している。なるほどとおもった。 ふつうになにかをするというのはとてもむずかしい。これはほんとうにむずかしいのだ。わたしにはそれがよくわかる。たとえば、あきらかにゆるゆるのボールを投げてくるピッチャーがいたとする。まっすぐのボールがまったく走っていない。そういった場合、こんなボールならかんたんにホームランにできる、と意気込んでしまい、つい大振りするバッターがほとんどだろうとおもう。わたしもきっとそうしてしまう。そこで我慢。ふつうどおりのコンパクトなスイング。これは口でいうほどかんたんではない。大振りの誘惑に勝つのはかなりむず

    ふつうはむずかしい - 空中キャンプ
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/02
    ふつうというのが人によって違うし、自分の中でもそのときの状態によって違うというところが難しい。慎重にいくべきだったり、思い切っていくべきだったり。
  • 沈殿する言葉 - 空中キャンプ

    長い小説を読み終えて、をぱたんと閉じる瞬間というのは、実に気持ちのいいものである。これほど、達成感という言葉がしっくりくるものもない。それがおもしろいであれば「ああ、読んでよかった」とうれしくなるし、今ひとつ自分の趣味にあわなかったとしても、ふくらはぎを痛めながらもかろうじて完走したマラソンランナーのように「それでも最後まで読み通した」と自分を誇ることができる。 ここでむずかしいのは、世間的には名作と称される古典の長編小説に手をだし、じっさいに読んでみるとまったくわけがわからず、心が折れかかっているようなときである。がんばって読み通すか、おもいきってあきらめるか、という選択をせまられることになる。名作というからには、きっとそれなりの意味あいがある小説なのだろうけれど、なにがおもしろいのかさっぱり、というような場合、しだいにのタイトルを見ただけで悲しくなってくる、といった事態にもなりか

    delayedresolve
    delayedresolve 2008/11/22
    『名作と称される古典の長編小説に手をだし実際に読んでみると全く訳がわからず…頑張って読み通すか思い切って諦めるか…記憶のどこかに一旦沈殿していつか再び意識に浮上してくるという様な事が起るのではないか』
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