〜LAURANT〜Revoとスタイリスト高見佳明が感性を融合させたコラヴォレーションファッションブランド
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商売の手の内を明かすシリーズ(続くかどうかは未定)。 商業原稿でも書き手によって考え方は違うと思う。書評のあらすじをどうするか、という問題である。たとえばあらすじをあまり書かないのが北上次郎氏。以前なにかの短篇集を紹介されたときに、ほとんどの文字数を使って一人の登場人物の肖像を丹念に描き、それだけで書評を終えたものがあった。それで不思議と、本のことを知った気分になったのである。もちろんそれは、小説の肝がその登場人物にあり、個々のエピソードについて書くよりも人物評のほうが有効な内容紹介になる、といった計算があってのことだろう。これは見事な技である。 自分自身では小説の書評の場合は、内容紹介の中でなるべくあらすじを書くようには心がけている。しかし鉄則ではなくて、もっといい方策があったらそれを選ぶ場合も多い。要は、作品の要素のどこを切り出すかという問題であり、書評者は自らの責任において毎回選択を
本日BookJapanに寄稿いただいた方に採用可否の連絡を差し上げた。自分自身が書評家として不完全なのにひとさまの文章にけちをつけるのは大変気後れがするのだが、主宰という立場ゆえ、あえて妥協せずに評価を申し上げました。失礼な表現もあるかと思います。どうぞご寛恕ください。 ちなみに以前(2007年)に自分で書いた、いい書評の規準というのを下に貼り付けておく。もちろんこれ以外のやり方もあるはずであり、自分の規準から外れた、しかし見事としか言いようのない書評を私は求めています。下のこれが鉄則というわけではなく、杉江松恋はかつてこういうことを考えていた(今では発展して考えが変わっている部分もある)、ということでお知りおきください。 ======================== 自分への戒めその5:私の考えるいい書評の基準は五つ。 1)その書評を読んで本に関心が持てるか。 (悪い例) 「自分語り
都の漫画規制条例 守ったものは子ではなく大人 漫画「クレヨンしんちゃん」の主人公、野原しんのすけが近年、おしりをあまり見せなくなっている。 アニメ化された当初、しんちゃんの言動は社会現象になる一方、低俗番組扱いもされた。青年漫画誌の連載のためか大人受けする皮肉やきわどい性表現も見られ、親をばかにするようなセリフが子に悪影響だとして、保護者団体からやり玉にあげられた。 その騒動をパロディーにもしていた作者の臼井儀人さんは昨年、事故で亡くなった。生前に作風を変えたのはさまざまな理由があってだろう。 作品は作者の手を離れて世に出た瞬間から作者だけのものではなくなる。読者や視聴者との対話、あうんの呼吸で作品は洗練もされうるし、受け入れられもする。 その過程に行政が入り込む余地はない。創作物に規制を施そうにも明快な客観基準を見いだせないからだ。親を敬えというのは道徳的善。性的なものへの寛容も
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