北斎は1843(天保14)年に信州小布施で東町祭屋台の天井に龍図と鳳凰図を、2年後に上町(かんまち)祭屋台の天井に『怒涛図 男波』『同 女波』(いずれも北斎館蔵)を小布施の人々やその地の豪商・高井鴻山の協力で描いた。 当時の小布施周辺の町々では、菜種油などの地場産業に加え、北国街道や中山道との往来を通じて物資や人々が流入して経済が潤い、東町と上町の2基の祭屋台のほか、5基の祭屋台を競って仕立てていた。 東町祭屋台は高さ4.74メートル、幅2.01メートル、奥行き3.33メートル、上町祭屋台の方は高さ4.84メートル、幅2.40メートル、奥行き3.55メートルもあり、骨組みの大きさ、堅牢さに圧倒された。 東町の方は1806(文化3)年に造られた町で一番古い屋台であったが、現存するのは北斎や彫物大工・亀原和田四郎などの協力で1843(天保14)年に再造されたものである。上町の方は高井鴻山が資財
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