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2009年10月31日のブックマーク (2件)

  • 小さな国家、大きな社会 - 毎週評論

    今日(7月22日)の朝日新聞に宮台真司・雨宮処凛・中島岳志の三氏の鼎談が載っていた。 鼎談の中でとくに気になったのは、宮台氏が貧困運動家たちが国の支援に依存しようとしていることを批判して、「小さな国家」「大きな社会」という理念を語っていたことである。雨宮氏がそれに対して、小さな政府の名の下に家族や個人の責任が過剰になっている現実があることを指摘していたが、この論点については全く雨宮氏の言うとおりであろう。「小さな国家」「大きな社会」は理念としては間違いでないにしても、現時点でそれを言えば、現実に行政しか頼れる場所がない弱者がさらに悲惨な状況に追い込まれることは目に見えているからである。 そして、これは明確に言っておかなければならないが、原理的に言っても弱者を救済する究極の機関は国家なのである。弱者の救済は、NPOのような自発的結社ではどうしても限界がある。財政上・権限上の限界という以前に、

    小さな国家、大きな社会 - 毎週評論
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2009/10/31
    「財政上・権限上の限界という以前に、NPOにアクセスするための情報や能力すら持っていない、決して例外的とは言えない社会的弱者を包摂することは不可能だからである」
  • 「大きな政府」は利権政治につながるという理解について - 毎週評論

    「小さい政府は票にならない」からだ。 それは普遍的な事実だ。あまりに論理的な帰結だ。 小さい政府は、誰にも利権を分配できない。小さい政府とはコントロールできる資金量が“小さい”政府、という意味だ。その定義からして、利権を生みにくい。 そして、利権を生みにくいということはすなわち、票にならないということなのだ。 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090726 謎のアルファブロガー「ちきりん」氏の文章。この人を批判したいのではなく、この文章のように、「大きな政府」になることをやたらに懸念している人への雑感である。「大きな政府」を懸念しているのは特にエコノミスト系の人に少なくないのだが、いったい何を懸念しているのか正直よくわからないことが多い。「大きな政府」を公務員の数やGNP比における税収の割合から定義できるとすると、日は世界の中でも明確に「小さな政府」のカテ

    「大きな政府」は利権政治につながるという理解について - 毎週評論
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2009/10/31
    「利権政治を通じた再配分というのは「小さな政府」であるが故に必要なのであり、本当に「大きな政府」であれば再配分は行政機関が粛々とやるだけで、政治家が個別的に交渉して引っ張ってくるようなものではない」