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2012年12月13日のブックマーク (3件)

  • 無罪判決と遺族 - apesnotmonkeysの日記

    YOMIURI ONLINE 2012年12月12日 「被害者母「無罪」に嗚咽…舞鶴・高1殺害控訴審」 無罪判決が出た際の遺族についての報道にはいつも複雑な想いをさせられる。 一方、女子高生の母親は、判決理由の読み上げが始まると嗚咽(おえつ)し、約20分間退廷。その後は落ち着き、一点を見つめて聞き入った。 (……) 今年8月の控訴審第4回公判では「娘は今年で20歳になります。成人式にはどんな晴れ着姿を見せてくれたのかと思い浮かべようとしても、15歳の時の姿しか浮かびません」と意見陳述し、「どうして1審で極刑にならなかったのか理解できない」と訴えていた。 記者会見では代理人の細川治弁護士が出席し、「良い結果が出ることを信じていました。とても受け入れられない内容で、悔しく納得できません。このままで終わることはできません。真実が明らかになることを祈り続けます」との母親のコメントを読み上げた。母親

    無罪判決と遺族 - apesnotmonkeysの日記
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/12/13
    更に言えば被告に極刑を課す事ができたとしてそれが遺族の安寧に繋がる保証もない訳で、死刑にばかり気を取られる我が国の状況はお寒い限り。
  • 虐殺の開始時期について - Apeman’s diary

    今日、12月13日に南京市で75周年という節目の追悼式典が行なわれていることが日のメディアでも小さく報じられていますが、相も変わらず「時間と場所を拡げて人数を水増ししようとしている」という妄言を繰り返す人がいるので、2年前のエントリをリマインドさせていただきます。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100824/p2 中国側でも「13日」という日付でもって記憶されているのは、事件発生当時〜東京裁判まで、南京虐殺についての認識が当時城内(の国際安全区)にいた欧米人のもたらした情報に大きく依存していたことが、大きな要因になっていると思われます。当然のことですが、城内にいた欧米人は12日までの、場外での出来事については断片的な情報しか持ち得なかったからです。他方、上記エントリでも論証したように、大規模な集団殺害の多くは13日から発生しているというのが日側研究者の見

    虐殺の開始時期について - Apeman’s diary
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/12/13
    ↓日本軍の戦勝ってどういう意味で言ってるの?今、小林英夫の「日本軍政下のアジア」読んでるけど無残なものでしたよ。当時の日本軍はまるで目的を達成できてなかったです。
  • 日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History

    慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち 場所:中国、時期:1938年頃 出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日機関紙出版センター,1987年)新版:2005年 慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。 それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。 以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。 最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。

    日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History