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外務省からインドネシア側への抗議を記録した1992年7月14日の外交文書。兵士の処罰を求める発言を「驚き」と批判している 旧日本軍の慰安婦問題が日韓間で政治問題になり始めた1992〜93年、日本政府が他国への拡大を防ぐため、韓国で実施した聞き取り調査を東南アジアでは回避していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者への取材で分かった。韓国以外でも調査を進めるという当時の公式見解と矛盾するものだ。 「河野談話」が出る直前の93年7月30日付の極秘公電によると、武藤嘉文外相(当時)は日本政府が韓国で実施した被害者からの聞き取り調査に関連し、フィリピン、インドネシア、マレーシアにある日本大使館に「関心を徒(いたずら)に煽(あお)る結果となることを回避するとの観点からもできるだけ避けたい」として、3カ国では実施しない方針を伝えていた。 日本政府は当時、内閣外政審議室長が「(
【10月13日 AFP】水の都として知られるイタリア・ベネチア(Venice)を高潮から守るためベネチアの潟に設置された可動式防潮堤。「電気機械式実験モジュール(MOdulo Sperimentale Elettromeccanico)」を採用したことから、「モーゼ(MOSE)プロジェクト」と呼ばれている。(c)AFP
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