山陽道を歩く歴史散歩の第三回。今回は小藩ながら岡山県だけにとどまらず、日本における近代化の歴史に深く関わる功績を残し、重要な人物も輩出した備中足守藩、現在の岡山市北区足守にある史跡を訪ねます。 備中足守藩の歴史 備中足守藩は関ヶ原の戦いの後に備中国賀陽(かや)郡・上房郡の一部を領地に二万五千石を与えられた尾張・杉原家出身の木下家定が初代藩主です。 この木下家定は豊臣秀吉の正妻「北政所(ねね)」の実兄で、彼の五男は小早川家に養子に出された戦国武将として名高い小早川秀秋です。 大河ドラマや歴史小説にも数多く登場する秀吉の正室、ねね(北政所・高台院)と木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)はこの時代にはたいへん珍しい恋愛結婚であり、ねねの実家である尾張・杉原家の方が結婚時には格式も身分も上でした。 織田信長に仕え、戦国時代という下剋上、乱世を生き抜き、ついには天下人となった秀吉から尾張・杉原家は木下姓に改