(2) 運が悪いことに、と言うべきだろうか、僕(筆者・大泉)の父と母が経営する小さな町工場が、JCOから約80メートルのところに建っていた。 事故がおきた1999年9月30日、僕は東京・墨田区の事務所にいた。この月はマンガ家の水木しげると3週間ほどオーストラリアの先住民・アボリジニを訪ね、彼らの精霊(水木しげるに言わせれば妖怪)について取材する旅をしていた。因縁めくが、アボリジニたちと付き合ううちに、彼らの聖地であるカカドゥ国立公園のジャビルカが、関西電力に売るウラン採掘のために汚染されている、ということがわかった。彼らの必死の訴えを聞いて、これは日本の原子力産業にきちんと問題を突きつけんといかんな、などとえらそうなことを思いながら帰国したのである(詳細は『水木しげるの大冒険 精霊の楽園・オーストラリア』祥伝社)。 日本に帰ると、井上陽水のライブレポートの仕事が待っていた。9月29日が全国