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ブックマーク / ameblo.jp/special-providence (3)

  • My own Conscience

    (これから書く話は基的に実際に見聞きしたことを書いたものをもとにしているが、ずいぶんと昔に見聞きした話も含まれるため、一部に筆者の記憶違いや創作、過剰な演出も含まれる。このため、あくまで「フィクション」として読んでいただければ幸いである。なお、今回の話には特定宗教の特定宗派が登場するが、これらを貶める目的がないことをあらかじめお断りしたい)。 大人になってから母親から知らされる意外な事実というのは時として衝撃的なものも含むものである。 私は幼い頃とある仏教系の幼稚園に通っていた。単純に家から5分程度のところにあったからなのか、代々その幼稚園と同じ宗派(父方も母方も同じ宗派)を菩提寺にしてきたからなのかは不明だが、ともかく仏教系の幼稚園に入れられたのである。 この幼稚園で園務所で執務していたY先生という方がおられた。おそらく当時で40代前半くらいの先生だったと思う。「先生」といっても、クラ

  • 『サウジアラビアとイランの国交断絶』

    ​新年早々サウジアラビアをめぐる情勢が緊迫している。サウジとイランの国交断絶以降、日国内でもこのニュースに注目が集まっており、様々なメディアで両国の情報が報じられている。今回は先日のイランとの国交断絶について主に事実関係の整理を行ってみたいと思う。今回の記事執筆にあたってはNews Picksの関連記事へのコメントもベースとしているので、そちらも参照されたい。 1.ニムル師の処刑 サウジアラビアとイランの国交断絶の直接的な発端は1月2日にサウジのシーア派指導者であるニムル師が処刑されたことにある。ニムル師はサウジでも比較的シーア派系住民が多いとされる東部州アワミーヤの出身で、イランで宗教教育を受けたとされ、1990年代にサウジに戻りシーア派指導者としてサウジ政府に批判的な活動を行った。2011年の「アラブの春」においてもサウジ政府に批判的な活動を行い、サウジ国内のシーア派を扇動したとして

    『サウジアラビアとイランの国交断絶』
  • 『2015年のサウジアラビアを振り返る』

    年末に書こうと思っていたのだが、どうにもやる気が起きず年を越してしまった。年が明けてからのサウジアラビアの情勢は周知の通りであるが、今般の情勢を正確に把握する意味でも2015年のサウジの情勢、特に権力移行、安全保障政策、財政について大雑把に振り返っておくことには価値があると思う。 2015年のサウジアラビアはアブドゥラ前国王の入院で幕を明けた。私の2015年最初のNews Picksへのコメントは次のようなものであった。 「新年早々不安なニュースが入ってきた。アブドゥラ国王の健康不安は以前からわかっていたことだが(チューブをつけながら公務をする姿が見られた)、検査入院となるとXデーが近いことを感じさせる。サウジ王室の王位継承は長子相続ではなく、兄弟間相続であり、未だに初代国王の息子たちで王位継承を行っている。高齢の王族間での相続のため、他の君主国と比べると短期間で国王や皇太子が交代する」。

    『2015年のサウジアラビアを振り返る』
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