2011年09月18日14:31 カテゴリ 【音楽】迷走するSEEDAーー日本語ラップはこのまま終わってしまうのか。 ゼロ年代の後半、日本語ラップが盛り上がっている瞬間が確実に存在した。確かに、次から次へと話題作が登場し、そのいずれにも独立した、ラッパーごとの個性的な魅力があった。そしてそれを盛り上げようとする、言葉の動きもあった。いわゆる批評からTwitterのような口コミ・レベルに至るまで、反応は上々で、この音楽の成長に対する確かな手応えのようなものが感じられた。そう、「日本語か英語か」という、ロックもかつては歩んだ議論を90年代には突破した彼らは、ゼロ年代には「何をラップするのか」という段階に移ることができたのだ。そうしていくつかの、今の段階でも「クラシック」と呼んでも良さそうな作品に、私たちは出会うことができた。 それらの多くは、ラッパーたちの日常に依拠するものであったと思う。ア