ダースレイダーが通っていた駿台予備校(Asanagi, CC0, via Wikimedia Commons) パリで生まれ、ロンドンで育ち、東京大学に入るもヒップホップに傾倒して学校に行かなくなった。その後、ラッパーとしてデビューするも脳梗塞に倒れ、合併症で左目を失明した。一時は医師から余命5年と宣告されるも、オリジナルデザインの眼帯を付け、言論、芸能、音楽活動といった分野でむしろ精力的に活動を続けている。 なぜこんなにタフで多忙で多才なのか。『イル・コミュニケーション 余命5年のラッパーが病気を哲学する』(ライフサイエンス出版)を上梓したラッパーでMCのダースレイダー氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト) ──パリ生まれ、ロンドン育ちということですが、なぜ幼い頃パリやロンドンに住むことになったのですか? ダースレイダー氏(以下、ダースレイダー):父が朝日新聞の記者(ニュー
![ダースレイダーが語る、駿台予備校の自習室で出会ってしまったヒップホップ 余命5年の宣告も、言論、芸能、音楽活動などの分野で精力的に活動する理由 | JBpress (ジェイビープレス)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/22b9f15eab26ad82873f35f1d046ce3418bb616e/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fjbpress.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F6%2F5%2F1200mw%2Fimg_65f0b3afcdc0f6650c8a6c761a63e4191250960.jpg)