尾道3部作と呼ばれる映画「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」などで知られる映画監督の大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)さんが、肺がんのため、10日午後7時23分、東京・世田谷の自宅で亡くなった。82歳。葬儀、告別式は家族葬で執り行い、後日お別れの会を予定している。 新作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」が今月10日に公開予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、公開延期になっていた。新作とともに参加する予定だった2月の尾道映画祭も中止になった。同作は近日公開を予定している。 16年に肺がんを患い、余命3カ月を宣告されたが、闘病をしながら映画製作を続けてきた。妻で映画プロデューサーの大林恭子さんと最後まで二人三脚だった。 広島県尾道市生まれ。幼いころから映画に親しみ、成城大時代から本格的に映画を撮り始めた。CMディレクターをへて、77年「HOUSE」で商業映画の監督デビューを果た
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映画監督の大林宣彦氏が10日午後7時23分に肺がんのため死去したことが分かった。82歳だった。2016年8月にステージ4の肺がんで余命3か月の宣告を受けてからも意欲を失わず、昨年11月の第32回東京国際映画祭で「あと3000年、映画を作りたい」と語っていた。CMディレクターから映画の世界に入り、故郷の広島県尾道市を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”などで知られる。ファンタジー作品に定評があり「映像の魔術師」の異名を取った。 約60年間にわたり映像作りに情熱を燃やし、生涯をささげた大林監督が逝った。余命宣告を受けながらも意欲を失わなかった映像の魔術師。昨年11月には東京国際映画祭で特別功労賞を授与され、遺作となる近日公開予定の映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を力強くアピールしていた。 従来の撮影所から育った映画監督ではなく、CMディレクターとしてチャー
「あきれるよ、本当に。礼儀違反のことだけは怒ります」ーー。尾道映画祭の会場で、映画監督の大林宣彦さんは学生たちの態度に不快感を示した。 23日に始まった第2回尾道映画祭は25日に最終日を迎えた。午前10時10分からは地元の大学生らによる自主制作作品上映会が行われ、ゲストの大林宣彦監督と安藤紘平早稲田大学名誉教授による講評が予定されていた。しかし、上映の直前になってプログラム内容の変更が会場で告げられた。大林監督らは上映会に参加せず、上映後に講評ではなく、映画についての一般的なトークをするという。 ことの経緯は前日の24日に遡る。24日の午前中には「大林宣彦青春回顧録」と題して、大林監督の若き日の自主制作作品が3本上映された。しかし、上映会場にいるべきはずの学生たちは一人もその会場に来なかったのだ。まずは自分の学生時代の映画を見てもらって、次に学生たちの映画を見る。そうして議論を深めていきた
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