なんだか最近月報っぽくなりつつあるけれど、みなさんお元気ですか? 色々思いついては、書きかけで止めて、そんなのがどんどん溜まっている現状。 ぶっちゃけ 「ニセ科学」って呼ばれているものは大嫌いなんだけど、 ならば本来大歓迎すべき「ニセ科学批判」ってジャンルが どんどんうさんくさいものに思えてきている。 とはいえ、「ニセ科学批判」にかかわっている人達がうさんくさい、ってわけではない。 彼らは、真面目だし、頭もいいと思うし、大部分については個人的には好き。 だから、何となく逡巡しちゃうのかもしれない。 例えばとても好きな人がいるんだけど、 1点だけどうしても許せないクセがあって、 そればかりが気になって気になってしょうがない、って感じ。 だけど、そのクセを遠慮なく指摘したらきっと怒るんだろうなぁ、って躊躇するわけ。 ...なんてフォローを入れつつも、 『でも所詮顔も知らない他人よね』と開き直っ
【無知と思われたくない無知は、どう装うか?】 専門家というのは、「専門的な知識」を十分に理解している必要があると考えられます。 そのため、専門家は、その「専門的な知識」を、それを持たない一般の人に分かりやすく正確に説明する能力を有するはずです。 また、「専門的な知識」を前提として繰り広げられる高度な話題こそが、「専門家による専門的な話」であると言えます。 では、「専門的な知識」について、「専門書の引用」しかしない、というのはどうでしょう? もし、読者に一般人を想定しているのであれば、キチンと分るよう説明しなければ理解できないのですから、そのようなくだりは用を成しません。 専門家を対象とするのであれば、それは既に知っている事だから、やはり意味はありません。 つまり、「専門的な知識」について、「専門書の引用」しかしない、というのは、どのような読者にとってもメリットは無い『全くの無駄』なのです。
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