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2019年3月28日のブックマーク (2件)

  • 田舎者と貧乏人を初めて見た話

    誰にも言えない偏見を、そっと書き残す。 東京に生まれた。 新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。 小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。 中高時代は都心まで通学し、遊ぶところは新宿、渋谷だった。 1年間浪人し、そのまま地方の国立大学医学部に進んだ。 まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。 私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。 まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。 「え?むしろ親、医者じゃないの?」 喉元まで出かかって飲み込んだ。 私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外

    田舎者と貧乏人を初めて見た話
    dmmdmm
    dmmdmm 2019/03/28
    お金のあるなしというより田舎の人間関係に疲れてるだけのような?ご自愛ください
  • 【田中圭一連載・ポケットモンスター編】ゲーム史に残る名作にしたい──田尻 智がサトシに託した想いは、任天堂の師・横井軍平の助力を得て、世界的ジュブナイルとして結実した【若ゲのいたり書籍化記念回】

    企画実現から書籍化に至るまで、多くのゲームメーカー関係各位にご尽力いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。そして、今後とも取材にご協力いただけますよう、なにとぞよろしくお願いいたします! さて、今回のゲストは、『ポケットモンスター』の生みの親・田尻 智さん! 「書籍化のお祝いに」と、編集部のオファーに応えてくださいました!! 幼少の頃、野山を駆け回っていたものの、インベーダーブーム以来、すっかりゲームの虜になった田尻さん。 ゲームファンのための同人誌ゲームフリーク』を創刊し、得がたい友となる杉森 建さんと出会ってから、「自分たちでゲームを作ろう」と志を持つように。その夢は、1989年に『クインティ』を発売することで実現することができました。 しかしそれは、まだ『ポケモン』誕生まで7年も前のこと。企画実現のために必要な開発資金をどうやって捻出するか──任天堂に相談に行ったとき、手を

    【田中圭一連載・ポケットモンスター編】ゲーム史に残る名作にしたい──田尻 智がサトシに託した想いは、任天堂の師・横井軍平の助力を得て、世界的ジュブナイルとして結実した【若ゲのいたり書籍化記念回】
    dmmdmm
    dmmdmm 2019/03/28
    野山で楽しんだ子がポケモンをつくった。ポケモンを楽しんだ子は何を作るのだろう?そこまで生きてて知りたいもんだ