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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (51)

  • [書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート): 極東ブログ

    書「2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)は昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)で扱った書籍の続編にあたる。 ストーリーの展開としては、「自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)の20年ほど前の話になるので、スターウォーズのシリーズのような趣もあるが、内容的な展開からすれば、出版された順序で、つまり、現代に近い「自分の小さな「箱」から脱出する方法」を先に読み、それから「2日で人生が変わる「箱」の法則」を読んだほうがよいだろう。こちらのだけ単独で読むこともできるし、ある程度の読書人が普通に読めばわかるように書のテーマは、9・11事件とその後の世界をどう捉えるかという壮大なテーマが仕組まれていることで、読後のかなり重みを受け

  • [書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート) その2: 極東ブログ

    昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)の補足。同書を読み返しながら、ここは解説したほうがいいのではないかと思われる重要点が2点あるので、それに触れておこう。解説といってもできるだけ恣意的な解釈はさけて、原典にそって翻訳書ではわかりづらい点を扱うことにしたい。 一点目は「共謀の図式」について。 書では、「平和な心」ではない「敵対心」がどのように現実の悪循環を引き起こすかということを、「共謀」という概念で、さらに図式化して説明しているのだが、訳書では図が少ないのと図があまり適切ではないように思われるので、ここの理解は難しいのではないだろうか。もっともよく読めば理解できないわけではないので、お節介な感じもしないではないが、その点は自分自身の復習もかねて書いているということでお目こぼしを。 まず、「共謀」という言葉だが

  • 遠藤周作「沈黙」の自筆草稿発見に想う: 極東ブログ

    先日遠藤周作の「沈黙」の自筆草稿が発見されたというニュースがあった。それがニュースなんだろうかとも思いつつ。しばし、物思いにふけった。私は、若い頃、遠藤周作のファンだった。 「沈黙」は、キリスト教が禁制となった17世紀の日(長崎)に潜入した司祭ロドリゴが、日人信者の迫害を減らそうとして、自ら棄教の意志を示すために、キリストの顔のある踏み絵をあえて踏むという話だ。キリスト教信仰にもいろいろあるので、イコンでもない、異教徒が描いたキリスト像を踏むことにためらいなどありえない、ということもある。これは日人キリスト教徒の特有な物語かとも思ったが、その後、東欧などでの評価を見るに、この心性は西洋人に理解されないものでもないようだ。 ニュース「遠藤周作氏代表作の『沈黙』、幻の自筆草稿を発見」(参照)では、研究者の藤田尚子は、現行の「沈黙」とキリスト像の違いを強調している。 自筆草稿をゲラ刷りや初

    dnakama
    dnakama 2007/11/19
    遠藤文学のなかで、キリストは、たぶん、そうした白人の、しかも彼が捨てた女性というものの象徴として、その生涯に立ち現れてきたのだろうと私は思う。
  • 極東ブログ: [書評]走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)

    村上春樹の書き下ろしエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」(参照)は買ったその晩に読みふけって読み終えた。読みやすいだったからとはとりあえず言えるのだが、奇妙な、苦いような後味が残った。たぶん、エッセイとは違う何かがあるのだろう。後書きで彼は「メモワール」だと言っている。 僕はこのを「メモワール」のようなものだと考えている。個人史というほど大層なものでもないが、エッセイというタイトルでくくるには無理がある。前書きにも書いたことを繰り返すようなかたちになるが、僕としては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかり小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのようにして生きてきたか、自分なりに整理してみたかった。 村上は「メモワール」というフランス語の語感に思い入れがあるようでいて「エッセイ」のフランス語の語感を知らないのも奇妙にも思われるのは、むしろ英

    dnakama
    dnakama 2007/10/26
    それはネイチャーではないだろう。なにか奇妙な何かが彼を追い込んでいく。そしてその追い込みの先の軽い比喩の連鎖の最後に「カモの夫婦が互いを求め合う」
  • [書評]よせやぃ。(吉本隆明): 極東ブログ

    反省した。吉隆明はもう耄碌してしまってほとんど終了かな、人間身体の限界だからしかたないでしょ、とも思っていたのだが、ぜんぜん違う。まあ読む人にもよるのだろうけど、この対談集に出てくる80歳過ぎた吉の迫力は、私がむさぼるように吉を読んでいた二十年前を思い出させた。この対談書はとにかく驚きだった。 実際には、彼は自筆だと「極東ブログ: [書評]家族のゆくえ(吉隆明)」(参照)のような優れた部分と限界も見える。これはざっくばらんに言ってもいいかと思うが、吉隆明の対談書はほとんどがゴミだ。対談者の思い入れや編集者の思い入れが奇妙に自己露出的だったり倒錯的に自己禁欲的だったり、あるいは過剰に解説的だったりする。それでいてフーコーやボードリヤールとかだとまるで対談が成立しない。自筆の書籍になると、文章が彼も下手くそなんだろうと思うけど、普通に読んでいては何を言っているのか皆目わからない。と、

  • [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳): 極東ブログ

    爽快に読める亀山郁夫新訳が全巻揃うまで読書開始は待とうと思っていたが、最終巻を期待していた春頃、なかなか出ないので、よもやまたかという懸念があったが、7月に5巻で完結した。訳者の苦労に感謝したい。そして50歳になってこのが読めたことを深く自分の人生の喜びとしたい。 大げさな言い方だと自嘲もするし、私など些細な存在だが、この書籍に呪われたような人生だった。私はある意味では早熟でクラソートキンの歳でこの作品に挑んだ。旺文社文庫箕浦達二訳で読み始めたのだった。ロシア語はわからないが(それでも大学で学んだっけと思い出す)良い訳だった。が、二巻までしか出版されなかった。その後旺文社文庫自体が消えた。魯迅もプラトンも鴎外も漱石も私は旺文社文庫で読み、学んだ。 いつの日か箕浦訳が出ると確信していて3年が過ぎ、5年が過ぎ、10年が過ぎた。アリョーシャの歳にもなった。そしてその歳も過ぎた。しかたなく継ぎ接

  • マスコラボレーションとピアプロダクションの間にあるブルックスの法則的なもの: 極東ブログ

    「極東ブログ: [書評]Wikinomics:ウィキノミクス(Don Tapscott:ドン・タプスコット)」(参照)の関連でもう一点、メモ的なエントリを書いておきたい。話は、マスコラボレーションとピアプロダクションの間にあるブルックスの法則的なものと、その関連からドラッカーの予言についてである。 ウィキノミクス(参照)とは著者たち自身の定義ではマスコラボレーションの技芸と知識であった。これはより具体的には、マスコラボレーションの実践とテクノロジーを指すとしていいだろうし、また実際に同書を読めばわかるようにマスコラボレーションの現象面も指している。そして同書では、マスコラボレーションとはピアプロダクションだとされているが、すでに「極東ブログ: ウィキノミクス=ピアプロダクションについてのメモ」(参照)で扱ったように、マスコラボレーションの基底にあるのがコモンズであり、共有は結果ではなく起点

  • ウィキノミクス=ピアプロダクションについてのメモ: 極東ブログ

    前エントリ「極東ブログ: [書評]Wikinomics:ウィキノミクス(Don Tapscott:ドン・タプスコット)」(参照)で取り上げたウィキノミクスだが、読後の感想と、関連する問題、背景について、メモ書きしておきたい。 書籍「ウィキノミクス(Wikinomics)」(原書・訳書)の読後、正確に言うと読書中にも疑問のように思えたことが二点あった。著者たちもその二点は想定していたのか微妙な配慮を持っているように思えた。 ウィキノミクス=ピアプロダクションの収益モデルはどうなっているのか? ウィキノミクス=ピアプロダクションにおけるピアグループ形成の原理およびリーダー論はどうなのか? 一点目の収益モデルだが、いくつかのケースでは提示できないわけではない。たとえば、オープンソースと収益については議論しやすい。また雑駁に言うなら、グーグルがそうであるように、ニッチのように見えたところに新しいプ

  • [書評]森有正先生のこと(栃折久美子): 極東ブログ

    大人にしかわからない上質な苦みのある、美しく同時に醜悪な恋愛小説のように読んだ。五十五歳の知的な男に三十九歳の才能のある女が十年ほど恋をする物語。さりげないフレーズに当の恋愛にはこの感触があると何度も煩悶のような声が自然に喉を突く。恋愛といっても、肉体的な交わり……少なくとも肉体の哀しみと歓びは表向き描かれていない。その契機が存在してなかったようにも読める。が、この物語の質はキリスト教のいう肉、サルクスというものの、胸引き裂かれるような絶望感にある、と思う。 小説ではない。森有正という男と栃折久美子という女の現実の物語だ。私もこの物語のある重要人物を知っていたので、この物語のごく一部だが魔法のように織り込まれたような感覚を味わった。しかし森有正という男を知らない今の日人でも、大人ならこの物語の味わいがわかるのではないか。と、自分がさも大人であるかのように書くのだが、そういう大人とは大

  • 最終炒飯: 極東ブログ

    火力は出ない? 出ないわけね。わかったよ。平和でよろし。 鉄製の中華鍋もない? あるのは小さなテフロンフライパンだけか。わかった。 具は? 冷や飯一人分と長ネギの端切れと卵一個。それだけあればいい。 塩と油はある? ある。 よろしい、最後の望みはある、最終炒飯だ。 用意は簡単。長ネギを適当にみじん切りする。普通なら捨てちゃう緑の先っぽのほうだっていい。できれば円柱形の部分が8センチくらいあるといいのだけど。そしてみじん切りはその断面の丸に十字に切り込みを入れておいてから、横からからざくざくと切っていくといいのだけど、まあ、どうでもいいよ。 卵はよく溶いておく。 ご飯は常温ならよい。冷凍でかちこちだとダメだけど、ほかほかに温める必要はない。 じゃ、始めるか。 フライパンに油を入れる。大さじ2。慣れたら1でもいいけど。 これに長ネギのみじん切りを入れ、飯の量を見て塩味が適当になるように塩をひと

    dnakama
    dnakama 2007/04/21
  • 恋という映像: 極東ブログ

    たまたまNHKで、三回シリーズで終わりなのだろうと思うのだが、「ドキュメント”恋”」というのを見た(参照)。世界の街の市井の人の恋愛を描いたドキュメントということなのだが、映像には奇妙な感触があり、心に不思議な印象を残す。ネットには何か情報があるかと思って探してみたのだが、当のNHKですらあまり情報がない。なぜだろ。 ドキュメント“恋” ~男と女 一週間の真実の物語~<全3回> 登場するのは男と女。世界各地の街角で出会った、今恋のさなかの市井の2人です。取材期間は一週間、2人それぞれにカメラは密着。現在進行で繰り広げられる男と女の物語を綴り、恋の質に迫っていきます。 第1回 パリ 2月12日(月)午後10時~ 第2回 上海 2月19日(月)午後10時~ 第3回 ブエノスアイレス 2月26日(月)午後10時~ 三回分を連続するとちょっとした映画になるかと思う。パリ、上海、ブエノスアイレスの

    dnakama
    dnakama 2007/02/27
    ドキュメント散文