坂田山心中事件を象徴する見出しを出した東京日日新聞(1932年5月13日) 記事には、二人は多磨霊園に永遠に葬られることになったと報じている。 心中現場となった坂田山 坂田山心中事件(さかたやましんじゅうじけん)とは、1932年(昭和7年)5月に神奈川県中郡大磯町の坂田山で起きた心中事件及び心中女性死体盗難事件。 事件の概要[編集] 男女の心中[編集] 1932年5月9日午前10時、地元の青年が岩崎家所有の松林の中で若い男女の心中死体を発見した。男性は慶應義塾大学の制服姿で、女性は錦紗の和服姿であった。前日の5月8日夜に現場に到着、昇汞水を飲んで服毒自殺を図ったものと思われた。 高貴な身なりであったため、神奈川県警察部は直ちに捜査を開始し、まもなく身元が判明した。男性は東京府白金三光町出身の慶應義塾大学理財科の学生(24歳)で、華族調所広丈の孫であった[1]。女性は富岡村 (静岡県駿東郡)