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ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (28)

  • 上野顕太郎『さよならもいわずに』 - 紙屋研究所

    平均寿命よりもずっと若い年齢で、最愛の人がいなくなってしまう――そういうふうに思いを馳せることが、最近3つのパターンでぼくを襲っている。 第一は、義姉(兄の)が亡くなったことだ。40代、がんであった。高校生と大学生の子どもがいた。兄が葬儀の日にみんなを前にあいさつしていたように、義姉は他人に不快感を与えるということから最も縁遠い存在で、義姉の温かさで家族の基調がつくられていた。「仲のよい家族」という、ぼくのなかでの理想の一つを構成する家族像の中心にいた人である。 最初にがんがみつかって、いったん治癒し、しかし、数年して転移という顛末をたどり、家族や周囲は義姉が「死ぬかもしれない」「義姉がいなくなる生活を想像しなければならないかもしれない」ということをおよそ10年近くかけて覚悟しながら、生活を送っていった。 第二は、娘とつれあいの両方、もしくはどちらかが、「いなくなる」という想像をたえずし

    上野顕太郎『さよならもいわずに』 - 紙屋研究所
  • 東京都の青少年条例について思う - 紙屋研究所

    西日新聞の投書 先日(2010年12月9日付)の西日新聞の投書欄に「過激な性表現 規制やむなし」という70歳の人の投書が載った。もちろん東京都の青少年条例の件だ。 投書は、表現の自由という主張に一定の理解を示しつつも、規制はある程度はやむを得ないとする。 私には最近の性に対する感覚は異常に映る。一昔前なら非難された「できちゃった婚」や「援助交際」という名の売春。言葉にも意識にもモラルや罪の意識が薄い。それらが規律を乱していないか。 性観念の紊乱や崩壊が起きている、という指摘である。この文章の後に、教師や知識人の性的頽廃を嘆くくだりが続く。社会の自浄作用として善導を期待されている人々がその体たらくだから、行政が乗り出すのもしょうがないじゃん、というロジック構成だ。 この種の年配者の発言には、条例の内容などを早とちりするものが多いが、この投書は立法の内容を基的に正確におさえ、性的刺戟など

    東京都の青少年条例について思う - 紙屋研究所
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    dododod 2010/12/16
  • 諌山創『進撃の巨人』 - 紙屋研究所

    群れたゴキブ○に似る 『進撃の巨人』は何が「印象に残る」かといったら、それはもう巨人のフォルムのキモさだろう。特にだね、60m級とか、15m級とか、2〜3m級とかお願いだからやめてほしい。そういう大きさがバラバラな、しかし相似形の生き物が群がってなんか(人間だけど)漁ってる姿って、ほとんどゴキブ○なんだな。こ、これが。 よく隠れた生ゴミとかをうっかり開けると、そこには生まれたばっかりのゴキブ○の幼虫ちゃんとか、成虫になりたての新米ゴキブ○とか、もう草履かってくらいデカいゴキブ○とか、そういうのが大小いっぱい群れてもそもそやってるわけですよ。そういう感覚。 マンガにおける「不気味の谷」 それでもっと根的に異世界の生物っぽい姿にしてくれたら逆にふーっと遠くなるのにだね、これくらい人間に近いと、人間とのちょっとの差がもう違和感醸し出しすぎになるのだ。ちょうどロボットにおける「不気味の谷」と同じ

    諌山創『進撃の巨人』 - 紙屋研究所
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    dododod 2010/12/06
    ”マンガにおける「不気味の谷」”と
  • 柳原望『高杉さん家のおべんとう』 - 紙屋研究所

    ぼくはいま3歳の娘の保護者である。 つい先日まで娘は0歳の「赤ちゃん」であったのだが、今ではすっかり「子ども」だ。やがて「少女」という段階に発展していくはず(次にいきなり「少年」とか「老人」とかになったらびっくりである)。 まあ、自分の娘に性的な眼差しを向けることは(おそらく)ないと思うけども、たとえば娘が小学校高学年になったとき、中学生になったとき、高校生になったとき、マンガの形象としての小学校高学年の少女、中学生少女、高校生少女に性的な眼差しをむけることができるだろうか、と思う。 「もうさー、あんた娘の父親なんだからさー、いい加減そういうのはやめなよー」とはつれあいの苦言。もっともである。 もっともなんだけども、そういう時期になってもたぶん、マンガの形象として登場する中学生女子に萌えているような気がしてならないのだ。 書『高杉さん家のおべんとう』は、31歳のさえないオーバードクター・

    柳原望『高杉さん家のおべんとう』 - 紙屋研究所
  • 石川雅之『もやしもん』9巻 浅川芳裕『日本は世界5位の農業大国』 - 紙屋研究所

    主人公は菌が見える! 農大マンガ『もやしもん』が字だらけ、解説づくめであることについては、いずれ論じるかもしれないが、今日は9巻で書かれている料自給率論争について。 常識を覆す爽快感としての自給率政策批判 料自給率は低い、これを向上させねば、という議論は、ぼくが小学生のときからすでに「天ぷらそば」という「和」が自給率20%なんだぜ、という例とともに喧伝されてきた。だから、自給率という考えやそれを向上させるという意識はすっかり国民に定着している。実際今度の参院選でマニフェストや公約に「自給率向上」の言葉や政策がない政党は「新党改革」くらいなものだ。 そういう「国民的常識」を覆すのは無上の爽快感がある。 覆された方も「これで今日から俺も情報強者!」と意気込みたくなること請け合いである。 主人公・沢木が出入りしている研究室の先輩院生・長谷川遙が、小坂なる学生の自給率研究にいちゃもんをつける

    石川雅之『もやしもん』9巻 浅川芳裕『日本は世界5位の農業大国』 - 紙屋研究所
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    dododod 2010/07/20
    自給率問題/米粉パン
  • 再び、尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所

    『ONE PIECE』について書いたらSBMやコメントがどっときた。こ、これが炎上というやつですか。お前ら、ホント『ONE PIECE』好きなのなw このブログのコメントもSBMのコメントも、あとツイッターでのコメントもいろいろ見させてもらった。まあ、もうあんまし何度もエントリを重ねるつもりはないけど、もう1回だけ考えたことを書いておこうか。 「バトルマンガ」である以上、バトルをなぜスポーツとして描ききらないかという疑問 もともとぼくが海賊冒険のマンガ『ONE PIECE』に違和感をもったのは、このマンガの主要な側面を「戦闘(バトル)マンガ」だととらえたからだ。バトルとは勝敗という形での優劣の決定だから、質的にスポーツであり、スポーツである以上、勝つための努力があり、そうであれば科学的な努力というものが見せられて然るべきだという気持ちがぼくにはあったのだ。 言うまでもなくスポーツマンガと

    再び、尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所
  • 尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所

    『ONE PIECE』は言うまでもなく最も売れているマンガである。まわりに「何のマンガが好き?」と聞いてもたいていのやつは『ONE PIECE』と答える。 そもそもぼくは『ONE PIECE』と相性がよくない。人気マンガというので数年前に読み始めたのだが、途中で挫折した。はっきり言って全然面白くないからである。「それでもまあ人気マンガだから」と今回再度がんばったのだが、27巻でくじけた。 少年マンガの感性についていけなくなっただけか 少年マンガだからお前の感性がついてけなくなったのだろう、とお前ら言うつもりだろう。まあ半分くらいはそうなんだろうよ。でもなあ、『NARUTO』や『銀魂』はそれなりに楽しく読めるんだよ。『バクマン。』や『いぬまるだしっ』はかなり愉快に読める。なのに、『ONE PIECE』は……ちっとも面白くならないのである。ぼくにとって。 「50巻くらいまで読まんと真価はわから

    尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所
    dododod
    dododod 2010/06/29
    バトル描写とかこると無駄に長くなるからいいです/河合克敏の過度にインフレしないで何度も感は好きだ
  • 羽海野チカ『3月のライオン』 - 紙屋研究所

    漫棚通信(すいませんが敬称を略して)がブログのコメント欄で羽海野チカ『3月のライオン』について言及していた。 ぼくが、スポーツのエトスは勝負であり、そのエトスを「敗北」という側面から見事に描いたのが『ちはやふる』だという記事を書いたさいに、つけてくれたコメントである。 『3月のライオン』はプロの棋士の世界を描いた物語で、4巻では主人公・桐山零の研究会主宰者、いわば師匠格にあたる島田八段の「敗北」が描かれている。 スポーツのエトス=勝敗に全てを賭けられない桐山 しかし、『3月のライオン』はこれまでのところ伝わってくる中心テーマは、まったく正反対の問題——つまり主人公の桐山零にはこの「スポーツのエトス」、勝敗に競技人生と人格をすべて載せるというような意気込みが欠けている、ということなのである。 4巻の島田八段が身を削りながら勝敗に執着する姿は、むしろ桐山の「気になれなさ加減」とでもいおうか

    羽海野チカ『3月のライオン』 - 紙屋研究所