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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/tlt (11)

  • わかりやすさの支配とユーザー思いのブログと - 寂光もと暗し

    ブログ, ネット一般にむずかしいことをわかりやすくすることむずかしいことをわかりやすく説明する能力は、「科学的知識をこどもに説明して納得してもらえないようでは、当にそれを知っていることにはならない」などと言われるように、理解度の指標として機能する。また専門家が非専門家に自分達のやっていることを理解してもらうためにも、そしてそれに協賛してもらうためにも大切なものである。しかしそれは与える側の話であって、与えられる側から見ると、「なんでもわかりやすく」されるのは困ったことになる。非常に迷惑な話になる。わかりやすさの奴隷制度わかりやすいものが世に溢れ、わかりやすいものだけを相手にしていても不自由なく生きられるようになり、インスタントなわかりやすさに慣らされたまま大人になった人間は、むずかしいことに触れることが難しくなるだろう。むずかしいことを理解する能力を「むずかしいことを司る人々」に奪われて

    dododod
    dododod 2008/08/02
  • こんらんちゅう - 寂光もと暗し

  • フラスコに飛び込む錬金術師 - 寂光もと暗し

  • 視覚的な性の卓越、ふくらみ - 寂光もと暗し

    考え貧乳が今アツいらしいので、暴論と思い込みを交えながら考えてみた。まずはじめに「貧乳」という呼び名が現在の貧乳の地位たらしてめいるのではないか。と思ったけれど、「貧」というところにフェティシズムを感じる方もおられるので、ここではこれ以上は言わないし、なんだか意識し始めると自分も「貧」の部分に愛おしさを感じてきた気がするのでこの問題はとりあえず置いておく。とりあえず私は「ささやかなふくらみ」という由緒正しき大和言葉で喩えたい。巨乳のそれは断じてふくらみではない。あれは身体から分離した物体なのだ。全く別ものなのだ。 柔らかい感触というのは能的に求めるものだ。大抵の人は固いベッドよりは柔らかいベッドが好きである。ふわふわしたもの、ぷにぷにしたものはつい触りたくなるものだ。そしてその柔らかさは多くの男性にとって女性に求めることができた。二の腕や太ももや、そして胸に。現代において「ささやかなふく

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    dododod 2008/06/07
    ”ない”ではなく”貧”なところがポイントである
  • 自分の言葉なんざに自信なんて持てない - 寂光もと暗し

    思いつきある時に、解決あるいは決断という思考停止を行い、僕はブログに何かを書くわけだけれど、そうやって書かれた言葉たちに僕はうなされる。僕が言い放った、書き残した言葉たちが真夜中に厳重にロックした僕の部屋のドアをマシンガンでぶち破って、キーキー奇声を発しながら僕の脳髄をこづきまわす。いつだって、僕の言葉は言い過ぎているか、言い足りないかしかない。言い忘れたことがたくさんあって、言いたいのに言葉が見つからないから代わりの劣化品で補填して。雲を掴むようなことを書く、当は雲を払いのけたいのに、思考が意志についていかなくて、息苦しく雲を掴むようなことを書く。 自分の言葉なんざに自信なんて持てない。僕は真実を言い当てられない。僕の、僕だけの幸福しか、そこには無い。 それでも僕は書こう。笑ってやろう。ハハハ。アハハハハハハハハハハハハ。 笑い声怖いw ま、なんだろう、今は思いつかないけど、いつかここ

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    dododod 2008/06/01
    変化するからこそいい
  • http://d.hatena.ne.jp/tlt/20080528/p1

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    dododod 2008/05/29
    情報収集について
  • アルミニウム・ラブ・ジュース - 寂光もと暗し

    アルミニウム・ラブ・ジュース うそっぱち 地下鉄駅構内で『アルミは生まれ変われます。人間はどうですか?』という日アルミニウム協会のポスターを見かけた。少し心にひっかかる言葉ではあったが、僕は急いでいたのでそんなことはすぐに忘れて、じんわりとした汗を感じながら生ぬるい風の中を歩き去った。 その日、東京は最高気温が28℃だったという。僕はのどの渇きを覚えて、狭い路地の自動販売機の前に立った。僕は120円を耳障りな音を立てる古い機械に投入した。チャリン、適当に飲み物を選んで、ガコン。一刻も早く、のどを潤したかった。だが冷たい感触をたよりに飲み物を取り出してその姿を見た時、僕はハッとして固まってしまった。そこには、見覚えのある、なつかしい顔があった。一年間付き合い、去年互いの価値観の相違のために喧嘩になって別れた、アル美だった。アル美の身体はすっかり冷え切っていて、どこか濡れているようにも思われ

  • 本質について少し考えた - 寂光もと暗し

    考え僕が僕のなかで、物事を考える時には『削りだしたりしたくない』はある程度可能だと思うんだけれど、人に伝える時は、簡潔に質を伝えないといけなくなっちゃう。複雑に絡み合ったものを解いて削って、ひとつか、ふたつかくらいに絞らないと。でもだからと言って「お手軽」「これだけ」といったような言い方はしたくない、と昨日と同じことを言う。ではどうすればいいのか。質、とはどういったものか、と考えてみる。 思うに、「質を捉えた考え」と「お手軽なインスタント考え」は、表面の見た目のボリュームは変わらない。一点を抑えているという点で、それは同じように見え、ごちゃごちゃした他のものよりも好意的にうつる。インパクトもある。だがそれらの立ち位置は真逆である。「質」が、その場所から周りのすべてを見渡せる一点であるのに対し、「お手軽」は同じ一点を表しているにしても、それは立ち位置ではなくて視点にすり替えられている

    dododod
    dododod 2008/05/24
    同じように見えてもお手軽に流れてはだめ
  • http://d.hatena.ne.jp/tlt/20080514/p1

  • 正しいインターネットの使い方 - 寂光もと暗し

    ネット『楽しい文章に出会うと自分も楽しくなるの法則』により、思わず高ぶった心を落ち着かせるためになんか書いてみる。人様の日記等を見ていて、「この人は、ほんとうに楽しみながら書いているんだな」と思う時、幸せを感じる。はしゃいでる姿が浮かぶ。読む人を笑わせようとしてくれる人々は素晴らしい。『たのしい』が伝わる文章をなるべく、僕も書きたい。もちろん、深刻な話は深刻に書くし、悲しいときは悲しく書くけど、楽しいことを当に楽しく書く、というのは案外難しい。僕が下手なだけかもしれないけど。 僕はついつい言葉をきつくしてしまっている気がする。とんがっている。これは危うい事態だ。いつか、誰かを傷つけないとも限らない。インターネットは怖い世界だ。あてどない発言が、誰かを傷つけ、誰かが傷つき。ブクマに書き込んだコメントが誰かを悲しませ、自分も悲しむ、胸がきつくなる。そんなとき、ノリノリで面白いことを書いてる人

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    dododod 2008/05/18
    いいはなしだなー
  • ぼくは片想いをしている。 - 寂光もと暗し

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    dododod 2008/05/12
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