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ブックマーク / heis.blog101.fc2.com (2)

  • 「杳として」とか「寡聞にして」とかいう言葉を使わなくちゃいけない理由 -- 「文学的」という言葉の意味 -- @heis.blog101.fc2.com

    プライドの高そうな表現 - 蟹亭奇譚 彼の行方は杳として知れない。 「はっきりわからない」ではだめなのか。 ダメな場合がある、ということだと思う。 要件が通じればいい事務的な連絡事項であれば、「はっきり分からない」でもいいと思うが、これが文学作品だったらどうか。「杳として」という言葉を使わなければ表現できないもの、この言葉をつかったほうがより作家自身が伝えたいことを伝えられると判断された場合は、「杳として」という表現を使うことを、許してあげてもいいんじゃないか。 寡聞にして知らない。 辞書には「見聞の狭いこと。主に謙遜の意で用いる。」とあるが、ちっとも謙遜になっていない例である。 謙遜と感じるかどうかはひとえに、その言葉を発する側と受け取る側の関係性の問題である。だから、過剰敬語だと逆に失礼な意味になったりするし、貴様とかお前とか、もともとは尊敬語だったのにいつのまにかぞんざいな言葉になっ

    dododod
    dododod 2009/03/29
    ことばいろいろ/"寡聞にして"は西尾維新を読むと使いたくなるソース自分
  • 博士課程について嘆くのはもうやめませんか? @heis.blog101.fc2.com

    注)引用部のハイライトは筆者注。 一、博士課程に関するよくあるイメージが誤解である2つの理由http://anond.hatelabo.jp/20090117074753 博士課程に関するネガティブなブログはたくさんあるが、人向けの内容が多く、親向けの内容は少ないように思う。「親のすねをかじるなんて」という意見もあるだろうが、現に、今の日博士課程は、親のすねをかじればかじるほど有利になるように出来ていることは否定しがたい事実だ。息子(娘)が博士課程に進むということは、極端にいえば、「xxという会社に将来性があると思うから、2000万円ぐらい投資します」といっているのと金銭的には同じようなものだ。要するに2000万円程度の成功率の低い投資行為なのだ。それが、親の財力と子供の数から考えて、高い投資か低い投資かは、家庭環境によるだろう。 もし、あなたに親として2000万円の投資に耐えられる

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