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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (3)

  • 「長期的持続」のスペクタクル ――漫画版『ARIA』の風景について - 過ぎ去ろうとしない過去

    (初出は2003年、某サークル正会誌) 19世紀全般を通して、ヨーロッパにおける都市の景観は大きく変容した。産業革命は都市人口の急増と生活スタイルの変化をもたらし、技術革新が近代的な建築物を登場させた。そして、海外貿易の発展が世界中から様々な珍しいものを都市に持ち込んだ。都市には美術館や博物館、劇場や動物園などが乱立し、パリやロンドンでは万国博覧会なども開催されるようになった。いわば、都市全体が一種の「スペクタクル」空間化したのである。近隣の地方や遠く外国からきた観光客たちは、その目の覚めるような景観に圧倒されることになる。 19世紀ヨーロッパの演劇的スペクタクル都市を、一方の極として完成させたのはヴェネツィアであろう。18世紀にはヴェネツィアはすでに享楽都市として有名であった。ナポレオンの占領によっておよそ1000年にも及ぶ政治的独立に終止符が打たれてからは、その傾向がさらに顕著になって

    「長期的持続」のスペクタクル ――漫画版『ARIA』の風景について - 過ぎ去ろうとしない過去
    dododod
    dododod 2013/12/05
  • 「妖怪どっちもどっち」の誕生 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://tinyurl.com/69j336 ここだけではありませんが、「被害者叩きをしている人間を叩いている人間もまた被害者を愚弄しているのだ論法」こと妖怪どっちもどっち*1が発生しています。 沖縄の米兵レイプ事件のときも同じような展開になりました。確かに今回の場合、「死ね」という言葉を使うことが果たして適切だったのか議論する余地はあるでしょうが、タイトルのような論法によって結局全部うやむやにしてしまう方向性に向かうことについてははっきりノーと言っておきます。 さて、「被害者叩きをしている人間を叩いている人間もまた被害者を愚弄しているのだ論法」的妖怪どっちもどっちは、今回のように―これはある意味で逆説的ですが―被害者に落ち度がほとんど見当たらないとき、によく出現します。 今回の場合、伊藤氏を「自己責任」として非難した人間に批判が集中しました。そして批判自体はまったくもって正当であっ

    「妖怪どっちもどっち」の誕生 - 過ぎ去ろうとしない過去
    dododod
    dododod 2008/08/29
    妖怪だ、妖怪の仕業だ
  • 「要は勇気が無いんでしょ?」からはじまる自由の行使 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://anond.hatelabo.jp/20080816045217 http://d.hatena.ne.jp/asami81/20080821/masuda http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080822/1219377408 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080823/1219462148 コミュニケーションにはルールがあります。ですが、ルールから外れた行為もコミュニケーションなのです。ただ、ルールから外れたコミュニケーションは、そのルールが成立している社会においてしばしば行為者を不利にします。 ところで、ルールがあるということと、そのルールが「正しい」ということは別です。この増田は別に悪いことをしているわけじゃないじゃないですか。ただ、ルールに外れた行為をしただけです。行為としては、年収学歴で人を差別したり馬

    「要は勇気が無いんでしょ?」からはじまる自由の行使 - 過ぎ去ろうとしない過去
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