承前*1 http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20101123/1290526669 先ず、「道具主義」的な国家観と「装置」云々とは取り敢えず切り離すべきだろう。詳しく例証することはできないのだけれど、「道具主義」的な国家観は、19世紀の知識人の間では、自由主義者・社会主義者を問わず、広く共有されていたといえるだろう。自由主義者の夜警国家にせよ、支配階級の道具云々という社会主義者の国家観にせよ、「道具主義」的であることには変わらない。たしか今村仁司氏*2が、レーニンはやはり19世紀的知識人で、だからその他の自由主義者や社会主義者とともに〈国家〉ということについて少々甘く見ていた、だから〈国家〉の重要さに気づいていた20世紀人のスターリンなんかに革命を乗っ取られることになった云々と昔語っていたような気がする。国家観が複雑になるのは、やはり20世紀になって